2018/11/21今週の一言

11月21日の「聖書のいづみ」ではサムエル記上9章14-17節を学びました。ヤハウェ神が預言者サムエルに向かって、「サウルという男性をイスラエルの指導者に任命せよ」と命じる場面です(16節)。実は一日前に、ヤハウェはサムエルにサウルとの出会いを予告していました。予告通りに登場したサウルを見た神が興奮して、「この男性だ」とサムエルに言耳打ちする様が極めて印象的です。羊飼いの少年ダビデに対する油注ぎの場面と酷似しています(16章参照)。

旧約聖書中初めて登場する「指導者(ナギド)」という言葉に注目します。この言葉は、「士師」と「王」の間の存在として、ヤハウェとサムエルが編み出した称号です。イスラエル特有の、部族レベルのカリスマ的軍人/裁判官である「士師(ショフェト)」。古代西アジアに広く存在する、中央集権国家の神的専制君主である「王(メレク)」。士師の裁く時代から王の君臨する時代にかけて、過渡期的な「指導者」という呼称が用いられます。語義は「高められた人」です。

サムエル記・列王記の中でナギドと呼ばれる人物は限られています。それは統一王国イスラエルの王たちと(サウル、ダビデ、ソロモン)、王朝を創始したとみなされる王たちです(ヤロブアム1世、バシャ、ヒゼキヤ)。ナギドは前者のグループの王たちの呼称であり、後者のグループでは各人一回ずつナギドと呼ばれています。

前者のグループのナギドは、士師の時代の部族ごとの統治から、王が全イスラエルを治めるという、イスラエルの変質を表現しています。後者のグループのナギドは、世襲の王朝がイスラエルになじまないという、イスラエルの特質を示しています。ナギドという称号には二面性・両義性・曖昧さがあります。

ヤハウェは、「ナギドはイスラエルを制御する(アツァル)」(17節)と言います。ナギドの制御は、世襲の王制導入に反対しているサムエルが、ぎりぎり承認できる内容です。王(名詞メレク)は血統によって君臨する(動詞マラク)ものです。しかし、士師のようなカリスマに根拠を持つナギドは、民を支配し己の意のままにするのではなく、民が暴走した場合にそれを制御することが本務なのです。

民主主義は匿名多数派の意思の尊重を特徴とします。その弱点は大衆迎合に陥ることを防げないことにあります。自由主義は少数有識者の判断の尊重を特徴とします。その弱点はエリート支配と民の政治離れにあります。両者の緊張感のある均衡が必要です。「王を与えよ」と叫び、支配されたがる民の暴走に対して、ヤハウェはナギドを老サムエルという有識者に任命させます。イスラエルの初代王・ナギドであるサウルには、前に出過ぎないで率いるという舵取りが要求されました。JK