族長ヤコブ(別名イスラエル)の息子たちの物語は、ずっと先のイスラエルの歴史と重ね合わせて考えると興味深いものです。特にラケルの息子たちであるヨセフとベニヤミン、レアの四男であるユダが重要です。
紀元前11世紀から10世紀にかけて、ベニヤミン部族のサウル王朝を経て、ユダ部族のダビデ王朝が樹立されました。サウル王朝はベニヤミン部族とエフライム部族・マナセ部族(以上ヨセフの子孫)を中心に、北の10部族を代表していたと思われます。
7年半の南北両王朝間の内戦後、サウル王朝が滅ぼされ、ダビデが南北統一王国の王となりました。ダビデは、都市国家エブス(エルサレムと改名)の王にもなり、そこに首都を据え、三つの連合王国共通の君主となったのです。しかし、この連合王国は孫のレハベアム王の時に解消され、北の10部族はエフライム部族を中心に「北イスラエル王国」を設立します。ここにベニヤミン部族も加盟しています。ベニヤミンはラケルの息子でありヨセフの弟なのです。
残された「南ユダ王国」にはユダ部族のほかにシメオン部族が数えられてますが、いつの間にか自然消滅・吸収併合されています。リーダーにのし上がったユダと、その反対に人質になったシメオンの姿と重なります。四男ユダの後塵を拝する形になった長男ルベン・次男シメオン・三男レビの子孫はみな「約束の地の相続」において不利な立場に追いやられています。
歴代誌の描く歴史は極端に南ユダ王国びいきです。ダビデを美化し、北イスラエル王国については完全に無視しています。列王記の描く歴史は、歴代誌よりはましですが、北を悪役にする点でかなり南びいきです。旧約聖書は全般的にダビデに好意的です。この意味で、創世記38章にユダの不祥事が記されていることは珍しい現象です。また全体のヨセフ物語において、北の中心エフライム部族の先祖であるヨセフが主人公であるという点が異例の事態です。ユダがヨセフに土下座をして謝罪し釈明し依頼をするということは、南王国と北王国の関係性のなかでは報告されたことがありません。ヨセフ物語は「正統」思想に異議を申し立てています。
紀元前8世紀アッシリア捕囚の際、北の9部族の滅亡を尻目にベニヤミン部族だけがいつのまにか南ユダ王国と一体化して生き延びています。紀元前6世紀バビロン捕囚にもベニヤミン部族が残っていたことは、ベニヤミン部族出身の預言者エレミヤの存在から伺えます。ユダに責任をもってかばわれた末弟ベニヤミンの姿と重なります。JK