イザヤ書は複雑な経緯で何百年もかけて66章もの大部な書物になりました。学者たちは、1-39章を「第一イザヤ」、40-55章を「第二イザヤ」、56-66章を「第三イザヤ」と名付けて、それぞれ別の著作年代と、著者(たち)を想定します。第一イザヤは前740年ごろから700年ぐらいまでに、エルサレム在住の預言者イザヤが書いたとされます。第二イザヤは前550年ごろにバビロン捕囚を経験した預言者(たち)が、そして第三イザヤは前520年ごろにバビロンからエルサレムへの帰還を経験した預言者(たち)が書いたとされます。
三区分仮説(複数著者による段階的編纂)を受け入れたとしても、なぜ第一イザヤと第二イザヤの間にだけ150年もの期間があるのでしょうか。なぜ第一イザヤの中に列王記の一部が混ざりこんでいるのでしょうか(36-39章)。なぜ第一イザヤの中に世界の終わりについての幻(黙示)が含まれているのでしょうか(24-27章)。
預言者には弟子集団がいました。その人々は師匠イザヤの預言集を封印して保存したり、封印を解いて編集したりしました(8章16節等)。彼らには師匠の名前を用いて書き加える権限すらありました。アッシリア帝国に臣従するマナセ王が即位した後(前696-642年)イザヤは冷遇され、伝説によれば粛清されます。旧約聖書にはマナセの時代に帰する預言書はありません。一切の預言者たちが沈黙を強いられる思想弾圧があったと推測されます。イザヤの弟子たちも小幅の加筆を秘密裏にすることしかできなかったのです(23章等に散見)。断片的加筆はバビロン捕囚まで続き、21章のバビロンに対する滅亡預言の断章が第一イザヤに書き加えられます。その後40章以降の大量な預言(第二イザヤ)も付け加わったのでしょう。
マナセ王の時代に「申命記を憲法にする歴史書(申命記・ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記)」を密かに作成編纂していた政治グループがいました。「国の民」と言います(列王記下21章24節)。マナセ王の後に政権を奪取した「国の民」の政治思想は「民族自決」であり、その点でイザヤとその弟子たちと一致します。「国の民」は列王記の中に預言者イザヤを登場させます。記述預言者の中で唯一無二、破格の待遇です。「国の民」の中にイザヤの弟子がいたかもしれません。こうして列王記からイザヤの伝記部分が第一イザヤに持ち込まれたのです。
終末の幻は第一イザヤの中の24-27章以外の部分にも見られます(17章12-14節、19章16-25節)。これら終末の幻部分は、エルサレムで第三イザヤまでが加筆された後、つまりイザヤ書の最終的な編纂の時に、表題(1章1節「イザヤの幻」)と共に付け加わったと考えられます。JK