2021/03/17今週の一言

以下は、いづみ幼稚園の卒業式でお話した言葉です。

卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。保護者のみなさまにおかれましては、心よりお慶び申し上げます。

先ほど、卒業生のみなさんはローマの信徒への手紙5章3-5節を見事に暗唱してくださいました。毎年園長から卒業生へ贈る聖句を卒業生に覚えていただいて、それを卒業式で披露していただいています。今日は覚えていただいた聖句をご説明いたします。苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生むということは、わたしたちにとって何であるのかということです。

みなさんご承知の通り、今世界中で厄介な病気がはやっています。新型コロナウイルス感染症という病気です。治す薬がまだないので、病気になることを避けなくてはいけません。しかも二週間ぐらいその病気にかかっているかどうかが分かりません。知らずに自分がかかっていて誰かにうつしているかもしれないのです。そのために、一緒にご飯を食べることや、電車やバスに乗ることができなくなりました。

いづみ幼稚園にとってこのことは大変な問題です。4月から5月まで幼稚園は休みました。みなさんが来たくても来られなかったのです。1月のもちつきも、2月の雪の保育もできませんでした。楽しみがなくなることは、苦しいことです。

苦しいことを「苦難」と言います。苦難は「忍耐」を生みます。忍耐とはじっと我慢をすることです。たとえば電車に乗りたいけど乗らないとか、外でみんなとご飯を食べたいけど家で家族とだけ食べるとか、そういう我慢です。

忍耐は「練達」を生みます。練達とは「腕前が上がること」です。みなさんは竹馬も独楽回しもかなり練達しています。同じように忍耐は、みなさんの腕を上げます。何の腕かと言えば、人生を生きるという技術です。回り道を探すことが上手になります。人生の壁にぶつかった時に「逃れの道」を探すのです。

練達は「希望」を生みます。希望とは神さまに期待することです。神さまならば何とかしてくれるという思いを希望と言います。人生上手は「逃れの道」を用意してそれを教えてくれる神さまに期待します。自分にできることとできないことを見分け、「自分にはできないが神さまにはできる」と信じます。それが希望です。

この希望はわたしたちを欺きません。神さまはみなさんに「大丈夫。何かあったら助けてあげる」と約束しています。神さまは嘘をつきません。それが欺かないということです。小学校でも苦しいことはあるでしょう。それは悪いことではありません。神さまに希望をおいて生きられるなら、苦難をも誇りになるでしょう。JK