ステファノという人物はどのような教会指導者だったのでしょうか。使徒言行録の著者ルカには当然面識のない人物です。そのルカでさえ彼を主役にして2章分も物語るのですから、ステファノの重要性がうかがい知れます。分量的には、パウロとペトロに次ぐ長さです。ルカがステファノを重視する理由は何なのでしょうか。
一つは、ステファノが教会指導者として人格的・能力的に優れていたということでしょう。彼は、「霊と知恵」(6章4節)・「信仰と聖霊」(同5節)・「恵みと力」(同8節)に満ちた、「卓の奉仕(ディアコノス)」(同2節)をする者です。このディアコノスが英語Deacon(「執事」の意)の語源です。「卓の奉仕」は、主の晩餐だけではなく机上の仕事も含め、教会の運営を担うという奉仕です。
さらにステファノは「福音宣教者」(21章8節)とも呼ばれる雄弁家です。7章全体に渡る「ステファノの説教」は使徒言行録に収められている演説の中で最も長いものです。この事実は、ステファノが自身主宰する「家の教会」での礼拝で説教の奉仕も担っていたことを伺わせます。
二つ目には、ステファノの背景にあるもののゆえでしょう。それは初代教会がそもそも包含していた多様性という特長をも推測させます。ステファノは十二弟子の一人であるフィリポと並んで紹介されています(6章5節。また7章と8章)。二人ともにギリシャ語・アラム語のバイリンガルです(ヨハネ福音書12章20節以下)。おそらく著者ルカは、ステファノの人となりをカイサリアで彼の盟友フィリポから取材しています(21章7節「わたしたち」)。
ステファノは地中海沿岸に離散したユダヤ人だったのでしょうか。あるいは改宗したユダヤ人かもしれません(6章5節)。それともローマで解放された奴隷だった可能性もあります(同9節)。ルカは、ステファノを不明な背景を持つ信徒として描きます。このような仕方でステファノは、自由人も奴隷もギリシャ人もユダヤ人も男性も女性もすべて包含する初代教会を代表する人物に任じられています。
三つ目は、初代教会の歴史において「ステファノ(殺害)の事件」(11章19節)が重大な画期であったということでしょう。元来は国際的だったエルサレム教会は、ステファノたち「国際派」を切り捨ててユダヤ民族主義(エルサレム神殿と共存)の道を選びます。エルサレム神殿参拝者の「使徒たち」(8章1節)を除く国際派信徒たちのみが迫害される不思議な事態は、エルサレム教会の路線変更を映し出しています。この事態はパウロによる信徒迫害や、彼の回心とギリシャ語圏への伝道、さらには彼のエルサレム神殿での逮捕という歴史に繋がっていきます。JK