最近アトランタの神学校同窓生からフェイスブックのトモダチ申請が来て、何の気なしに承認をしたところ、2002年の第四期卒業生一同の写真投稿を見ることになりました。わたしと妻は1999年から2002年までバプテスト(CBF)の神学大学院に留学していました。「優等生っぽいヨーロッパ系米国人男女に混じった、一人だけいる日系米国人みたいな男性」が写った写真は様々な出来事を思い起こさせ、しばし「あの9.11から20年経ったか」という感慨にふけりました。
2001年9月11日の午前、娘は公立の小学校に、妻は神学校に通い、私は息子の子守のために家にいました。すると突然妻が帰宅し、「飛行機事故または米国への奇襲攻撃が起こり、講義はすべて中止となった」というのです。その時から学校も町も、そして教会も雰囲気ががらりと変わりました。
行商の星条旗が飛ぶように売れました。星条旗とさらに「南部旗」を設置する家もありました。南部旗は愛国心の象徴のように用いられていますが、元々はアフリカ系や有色人種に対する差別に賛成するという意思表示も含まれる旗です。
教会の礼拝にも国旗が持ち込まれ、第二国歌が「賛美」されました。聖歌隊には「白・紺・赤」(国旗の色)のデザインのお手製リボンが配られました。ブッシュ大統領のために、また、米国のために祈るようにとの勧めが盛んになされました。20%台にあえいでいた大統領支持率は、90%に跳ね上がりました。
イスラム教徒に対する差別待遇があからさまになされるようになり、見間違えられたシーク教徒が射殺されるという痛ましい事件もありました。同じ図書館でアルバイトをしていたパキスタン人留学生は声を潜めながら恐怖を訴えてきました。娘の同級生だったレバノン人の男の子は小学校に通えなくなりました。米国政府がアフガニスタンへの侵略戦争を企図していることも報じられています。
思い立ってわたしたち夫婦は「アフガン侵略をしないように」という、ブッシュ大統領への要請文を出すことにしました。神学校の教授や学生に呼びかけ、やっと集まったのは12名の有志の署名です。全学120名ほどでしたからほんの10%、世論とほとんど同じです。教会も神学校も「単なる米国社会」でした。
10月7日アフガン戦争が始まった途端、テレビは完全に戦争報道になり米軍の進撃が報じられました。報復に熱狂した、あの戦争は何だったのでしょうか。JK