新共同訳聖書(1987年)と聖書協会共同訳聖書(2019年)と新改訳聖書(2017年)の訳語を比較する本が出版されました。『ここが変わった「聖書協会共同訳」』(日本キリスト教団出版局)です。旧約篇と新約篇があり、旧約篇の方は銀座教文館店舗の4月第4位の販売数なのだそうです。早速買ってみました。
いくつか翻訳/解釈の変更があった聖句が紹介されています。
たとえば士師記5章7節。新共同訳と新改訳が「わたしデボラはついに立ち」と訳したところを、聖書協会共同訳は「デボラよ、あなたが立ち上がるまで」と、主語を変えています。この変更によって、当該部分を歌った人物がデボラではなくなりますから、小さな変化ではありません。興味深いのは解釈変更の根拠です。最近研究が進んでいる「北イスラエル語」の綴り方によれば、「あなた」という翻訳がありうるというのです。
雅歌1章5節「わたしは黒いけれども愛らしい/美しい」と新共同訳/新改訳が訳しているところを、聖書協会共同訳は「私は黒くて美しい」と解釈変更しました。「けれども」という解釈にはアフリカ系人種に対する差別が潜んでいるからです。原文は「ウェ」というたった一文字の接続詞。これを逆接の意味「しかし」と採るか、それとも順接の意味「そして」と採るかが問題です。「ウェ」の翻訳にはどちらもあり得ますが、「そして」の用例の方が多数です。素直な翻訳は、「私は黒い、そして、美しい」なのですが、白人の価値観(黒≠美)を翻訳者が保持している時に「けれども」と翻訳したくなるのです。
上記二例は、20世紀後半以来世界で強調されている価値観を背景に持っています。それは多様性(Diversity)の尊重です。唯一の「中央・中心」ではなく、多種多様の「周縁」とされている事柄を同等に尊ぶ精神です。聖書翻訳の傾向もまた歴史を映す鏡です。JK