2022/12/14今週の一言

【ルツ記1章】

21 「私、私は満ちて行きました/歩きました/暮らしましたそして/しかし手ぶらでヤハウェは私を戻しました。なぜ貴女たちは私をナオミと呼ぶのですか。そしてヤハウェは私に応えました。そしてシャダイは私を害しました。」

22 そしてナオミは戻りました。そして、ルツ・そのモアブ人・彼女の義理の娘・モアブの野から戻った者が、彼女と共に。そして彼らはベツレヘム(に)来ました。大麦の刈り入れの初めにおいて。

 

 ベツレヘム住民の女性たちに対する、ナオミの発言の続きです。21節冒頭は主語を連ねる強調表現です。一家がモアブに移住したのは飢饉が原因であったので、物質的な豊かさをもって「満ちて行きました」と確言しているのではないでしょう。そうではなく、夫と二人の息子たちと共に行ったこと、旅を歩いたこと、モアブで暮らしたこと、これらすべてを含んで家族との思い出をナオミは懐かしんでいます。

 次の文の接続詞は、「そして」か「しかし」がありえます。ヤハウェに対する抗議を強めるのなら逆接の「しかし」を採るべきでしょう。確かにナオミは、ヤハウェおよびシャダイの責任を追及しています。「手ぶら」は「満ちて」の反意語として、三人の男性の喪失を意味します。ナオミはここでルツのことを失念しています。

 22節において物語の語り手はナオミの失念を補い、ルツをくどいほどに紹介します。「ルツ・そのモアブ人・彼女の義理の娘・モアブの野から戻った者が、彼女と共に」。ナオミは決して手ぶらではありません。この後の物語がそのことを証明します。ベツレヘム(パンの家の意)で大麦の収穫が始まり、貧しい者・飢えた者・泣いている者である赤貧の女性二人に大逆転が起こります。それにしてもなぜ「彼らは」という文法上の齟齬がある表現なのか。謎です。JK