【3章】
12 「そして今、実際、私が贖う者だということは事実(です)。しかし私よりも近い贖う者も存在しています。 13 貴女は宿泊しなさい、その夜。そうすればその朝になるでしょう。もしも彼が貴女を贖うならば良い。彼は贖うかもしれません。しかしもしも彼が貴女を贖うことを望まないならば、私、私こそが貴女を贖います。ヤハウェの生命。貴女はその朝まで寝なさい。」
「贖う」という動詞と、そこから派生した「贖う者」という名詞が頻出しています。鍵語です。贖いは親戚(贖う者)同士の互助行為です。贖いに二つあります。
一つは家名存続。エリメレク家を絶やさないために、エリメレクの息子の妻であったルツを自分の妻にすることです。親戚による家名存続のための婚姻を「レビラート婚」と言います(申命記25章5節以下)。かつてヤコブの息子ユダはこの風習に抵抗しましたが、逆にレビラート婚を根拠にユダを屈服させたのがカナン人女性タマルです。モアブ人ルツはタマルの系譜を継いでいます(マタイ1章3・5節)。
贖いのもう一つは土地の買い戻しです。先祖伝来の土地を手放したエリメレクのために、その土地を親戚が代わりに買い戻すことです(レビ記25章25節。ルツ記4章3節以下)。エリメレクの妻ナオミの土地を現在の所有者から買うこと、それによって小作人や債務奴隷に零落したナオミを自由民に買い戻すのです。
二回繰り返される「その朝」は、より近い親戚の決断の時です。ボアズがその朝彼に決断を迫るのです。「彼は贖うかもしれません」(13節)は、「彼が贖うべきだ」とも「彼は贖うことができる」とも翻訳できます。12節冒頭の「そして今、実際・・・事実」という同語反復の冗長な言葉遣いには、ボアズの動揺もやや見受けられます。どのように訳すべきでしょうか。このようなボアズの心境への推測(思い巡らし)に聖書本文に対する読者の主体的な参与があります。JK