【4章】
1 そしてボアズはその門(に)上りました。そして彼はそこに座りました。そしてご覧なさい。ボアズが語った贖う者が渡りつつあります。そして彼は言いました。「貴男は向きを変えなさい。貴男はここに座りなさい。あれやこれや(のことがあります)。」そして彼は向きを変えました。そして彼は座りました。 2 そして彼は十人の男性たち、その町の長老たち(を)取りました。そして彼は言いました。「貴男らはここに座りなさい。」そして彼らは座った。
3章15節で城外の打穀場から城内に戻っていたボアズが、内外の境目である城門に来ます。「門(に)上る」は、門の周辺が住民自治の中心であることに敬意を払った表現です。門で裁判が行われていたのです(申命記25章7節)。ボアズは当事者「贖う者」と裁判官役である「十人の男性たち」を呼び止め裁判を提起します。
イスラエル人住民は誰でも裁判を提起できたと思われます。しかし判事役は成人男性である「長老たち」に限られています。そしてモアブ人住民ルツは裁判を提起できていません。ベツレヘムの自治には女性差別・外国人差別があります。
「座る」という動詞が5回も登場しています。鍵語です。ヘブライ語動詞ヤシャブの基本的な意味は「座る」と「住む」です。座ることは住むことなのです。すべての住民が平等に自治(門に座る行為)に携わることが理想です。民主政治は、統治する者と統治される者が同一の者でなくてはならないからです。統治者は構成員全員の間で頻繁に交代するべきです。
「沖縄のガンジー」と呼ばれた阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さんは米兵と話し合う時には、「立たない、大声を上げない、耳より上に手を上げない」ことを旨としていたそうです。座って丁寧に話し合うことで解決を図ることは、聖書の示す自治のあり方です。JK