聖書の人物について、徒然なるままにご紹介いたします。一人目はやっぱりアダム。名前の意味は「人」です。
アダムは創世記2章から4章まで登場します。名前の意味が「人」なので、どこから「アダム」と翻訳すべきかに議論があります。新共同訳は3章8節から「アダム」としています(ギリシャ語訳は2章19節から)。人/アダムの物語は、人間一般に通用する物語と解せます。つまり、人間は神から息を与えられて生きるものであり、労働をし、他者と共に社会を形成し、倫理(禁令)をもつものです(2章)。
アダムは蛇が妻に話しかけている時に傍にいました(3章6節)。傍観し、共に禁令を破る行為をしました。破った後にアダムは神を避けます。また神からの厳しい責任追及に真正面から答えません。妻や神のせいにします。アダムは無責任な人物です。そのためエデンの園という最良の耕地から追い出されます。
一連の物語は、人(アダム)が土(アダマー)から取られ、土を耕し、最終的には土に帰る存在であることも教えています(3章19節)。
アダムは妻をエバと名づけます。アダムは無責任な夫の割には亭主関白です。名づけが支配だからです。アダムはカインとアベルという二人の息子を授かりますが、子どもの名づけには関与しません。ここも無責任。子育ても多分していないかな。
息子たちが経済的に自立したころ、つまり子育てが終わった後に、上の息子が下の息子を殺害するという事件が起こります。神は上の息子を追放します。アダムは一度にすべての息子を失ったのです。悲しかったと思います。おそらくアダムがカインに農業を教え、土と共に生きる姿勢を伝えていたことでしょう。
創造主は夫妻に三人目の息子を授けてくださいました。そろそろアダムが名づけても良いところ、残念、またもや妻エバがセトと命名しています(4章25節)。植木等のスーダラ節が聞こえてきそうな、人間とは、やれやれ。JK