2024/04/17今週の一言

今回はラザロ、ベタニア村のマルタとマリア姉妹の兄弟です。ヘブル語名エルアザル(「神は助けた」の意。レビ記10章6節他)に由来します。イエスの時代によくある名前だったらしく、譬え話にも用いられています(ルカ16章19-31節)。

マルタとマリアの有名な逸話の際にラザロは登場しません(ルカ10章38-42節)。ラザロは、逸話を伝承していった人々にとって眼中になかったのでしょう。つまり男性であるラザロだけは、家事をせずとも当然にイエスの話を聞くことが許されていたのだと思うのです。マルタとマリアの対立だけを問題にすると真に根深い課題が隠されます。女性差別がそれです。

ヨハネ福音書11章には、病死したラザロの復活物語が記されています。この物語の中でラザロは何の積極的な役割をも担っていません。それは、イエスによってよみがえらされた人々に共通しています(マルコ5章42節、ルカ7章15節)。彼/彼女たちは、イエスが奇跡行者であることを証しする存在なのです。彼の名前の通り、死の淵からラザロを「神は助けた」のでした。そのためラザロは、イエスを殺そうとしているユダヤの権力者たちからつけねらわれます(ヨハネ12章10節)。

ヨハネ福音書は「最後の晩餐」を記しません。その一方で「過越祭の六日前」のマルタ・マリア・ラザロ家における晩餐を報告しています(12章1-8節)。ラザロは当然にイエスらと共に食卓を囲み(またもや!)、マルタは給仕をし、マリアは香油をイエスの足に塗ります。隣人に仕える者こそがキリスト信徒の模範ですから、マルタとマリアはラザロに優っています。

その上でラザロの優れた点は何でしょうか。イエスが処刑されるかもしれないという状況、またそれに伴って自分自身の暗殺もありうるという、極度の緊張が強いられる状況においても、ラザロはイエスへの信を貫き、主の食卓を囲みました。復活させられた彼はイエスの復活を一早く信じたことでしょう。JK