2024/05/01今週の一言

今回はトマスQwma/j、男性十二弟子の一人です(マルコ福音書3章18節ほか)。マタイ・マルコ・ルカの三福音書(「共観福音書」と呼びます)と使徒言行録においては、その名前以外目立った逸話が無い人物です。トマスについて知るためにはヨハネ福音書に頼らざるを得ません。

 トマスは「ディディモ」と呼ばれていたそうです(ヨハネ11章16節・20章24節)。ディディモの意味は「双子」です。ここから「トマスはイエスの双子の兄弟であり、イエスはトマスにだけは秘密を告げていた」という伝説が生まれます。外典の一つ「トマスによる福音書」は、この伝説に基づく偽書です。

正典におけるトマスは「理解力の劣った人物」として描かれています。たとえばラザロの癒しに向かうイエスを見て、「私たちも行って、一緒に死のうではないか」という誤解。かなり明後日の方角に向かった誤解です。

次に、天へと向かうイエスの道について、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(14章5節)という無理解もあります。ただしこのトマスの質問があったからこそ、「わたしは道であり、真理であり、命である」という名回答が続くのですから、トマスの無理解を責める必要はないのかもしれません。

最も有名な逸話は、「自分の目で見るまではイエスの復活を信じない」と頑固に言い張る場面です(20章24-29節)。イエスはそのトマスのためにもう一度現れ、トマスはイエスの復活を即座に信じます。この逸話もまた、「見ずに信じる者は幸いである」という名言の呼び水になっています。また、その他の弟子たちも「復活のイエスを見たから信じた」のですから、トマスだけが頑迷だったとも言えません。良く言えばトマスは名答・名言を引き出す人物です。JK