今回は、アルファイの息子レビです(マルコ2章13-17節)。
レビの職業は徴税人、カファルナウムというガリラヤ湖沿いの町の収税所に勤めていました。レビは通行税を徴収する係だったようです。徴税人であるというだけで、ユダヤ人同胞からは忌み嫌われました。ローマの貨幣を取り扱うために、「徴税人の家に入る者は24時間宗教的に汚れる」という規定があったからです。憂鬱な思いを沈殿させながら、レビは毎日収税所の自分の机につきます。
すでにペトロとアンデレとヤコブとヨハネとを従えているイエスが(1章16-20節)、レビの勤めている収税所にさしかかります。イエスはレビを一回見ただけで、「あなたはわたしに従いなさい」と声をかけました。初対面にもかかわらず、レビも、上の四人と同様にすぐにイエスの弟子となりました。
もしもマタイ福音書のように徴税人レビを十二弟子マタイと同一視するならば(マタイ9章9-13節、同10章3節)、レビはイエスの放浪の旅に付き従ったと考えるべきです。ルカ福音書5章28節の「彼は何もかも捨てて立ち上がり」という記述もマタイ福音書を支持しているのかもしれません。しかし、マルコ福音書は、十二弟子のマタイとレビを別人としています。つまりレビが徴税人職を辞めずに、定住したままの弟子であり続けた可能性を否定していません。レビは弟子となった日だけ早退したかもしれないのです。
レビの召命物語の肝は、徴税人レビが自宅でイエスを中心とする大宴会をもったことにあります。多くの徴税人、律法を守ら(れ)ないために「罪人」とレッテル貼りをされた人々、イエスの弟子たちが、そのパーティーに参加しました。明確な禁忌破りです。イエスは宗教的に汚れているとされた人の友でした。
イエスの復活後、ペトロの義母の家とレビの家が拠点となってカファルナウムに教会が創設され、福音書記者マルコはその人々を取材したのでは。JK