2024/07/03今週の一言

今回はヨハネ・マルコという男性。ヨハネ(ヨハナン)というヘブライ語名とマルコというギリシャ語名とを持っていたのでしょう。サウロ・パウロと同様です。ヨハネ・マルコは「マルコによる福音書」の著者です。

 マルコの母親マリアという人物はキリスト者であり、エルサレム教会の指導者の一人でした(使徒言行録12章12節)。そしてマルコは、バルナバとパウロに誘われてアンティオキア教会での信仰生活を体験します(同25節)。そしてアンティオキア教会はキプロス島への宣教活動のためにバルナバとパウロとマルコを派遣します(同13章5節)。一行がキプロスを離れ小アジア半島での宣教活動を始めた頃に、マルコは何らかの理由でエルサレム教会に帰ります。

 パウロとバルナバが第二回目の伝道旅行を企画した時、パウロはシラスと共に陸路で小アジア半島へ行き、バルナバはマルコを選んで再びキプロスに行きます(同15章39節)。これ以降のマルコたちの宣教活動について、使徒言行録は報じていません。青年マルコとパウロの相性はあまり良くなかったと思われます。

 パウロは自分の系列の諸教会に手紙を書きます。それらのいくつかはそれぞれの教会の礼拝で用いられ、次第に他の教会にも閲覧使用され、「正典」とされていきます。マルコはこの状況に対して新たな創作活動をもって一石を投じます。それが「福音書」の創始です。イエスのガリラヤでの活動に焦点を合わせた、一風変わった伝記です。パウロの手紙には書かれていない「イエスの生き方」を、教会の礼拝で分かち合おうという試みと言えます。

伝説によればマルコはペトロの通訳をしたことがあるそうです。フィレモンの手紙24節にはパウロの協力者としても紹介されています。ペトロともバルナバとも近しく、最終的には晩年のパウロからも一目置かれる存在となったヨハネ・マルコは、初代教会史に独自の足跡を残した教会指導者です。JK