2024/07/17今週の一言

今回はアベル、カインの弟です。とは言え、アベルの人となりについて聖書はほぼ沈黙しております。物語は兄カイン、または母エバに集中しています。

 エバはかなり力んでカインの名づけをしましたが、アベルの名づけには関心がありません。「そして彼女は再び生んだ、彼(カイン)の兄弟を・アベルを」(創世記4章2節、語順通りの直訳)。この言い方は、カインの出産と命名を重視しています。アベルはカインの兄弟でしかないのです。

 妻に代わりアダムが二番目の子どもにアベルと命名したのでしょう。しかしなぜこのような否定的な名前にしたのでしょうか。アベル(原音表記ならば「ヘベル」)は、「ため息/空しさ」という意味の言葉です。例えばコヘレトの言葉1章2節は「諸々のヘベルのヘベル」=「空の空」という表現です。アダムの真意はともかく、この名前はアベルの儚い運命を暗示しています。

 アベルは羊飼いとなります。そしてヤハウェの神への礼拝のために、「彼の群の初子たちの最上、彼女たち(群々)の脂たちの最上」(創世記4章4節)を捧げます。ヤハウェはアベルの捧げ物を凝視します。

 アベルがカインの嫉妬や怒り、またカインに対する神の警告に気づいていたかどうか、本文は曖昧です。もし気づいていたならば、うかうかと野原に誘い込まれて殺されていたでしょうか。それとも気づいていてあえて丸腰で(羊飼いの杖を持たずに)カインと一対一で対峙することを選んだのでしょうか。謎です。

アベルは聖書本文中で一言も言葉を発しません。しかし殺されたアベルの血だけが土(アダマー)の中から叫びます。土(アダマー)から取られた人間(アダム)は必ず地に帰る存在です(創世記3章19節)。しかし沈黙を強いられた義人の血(マタイ福音書23章35節)・義に飢え渇く者(同5章6節)の叫びは、常に人間の社会を問う声となります。「沈黙の声」(列王記上19章12節)の中に神がおられます。JK