2024/07/24今週の一言

今回はヤイロという男性です。カファルナウムの住民と推測されます。彼は「会堂長の一人」(マルコ5章22節)、町の有力者です。カファルナウムの会堂で、イエスは教えを説き、悪霊祓いをし、人々を癒しました(1章21-28節、3章1ー6節)。ヤイロはイエスの言動に触れ、感銘を受け、すでに支持者になっていたのでしょう。ヤイロとの交わりのゆえに、イエス一行はカファルナウムとその中心にある会堂を、ガリラヤでの活動の拠点にできたのだと思います。

 ヤイロに十二歳になる娘がいました。イエスがカファルナウムを離れガリラヤの向こう岸で活動している時に、その娘が重い病気にかかり重篤となりました。父ヤイロはイエスの帰りを大勢の群衆に混じって待ち構え、湖の桟橋で懇願します。「手を置け。そうすれば娘は生きる」(5章23節)。イエスは応諾します。

 ところがイエスは道草を食います。出血の止まらない女性を癒すために、イエスはこの緊急時に立ち止まってしまうのです。ヤイロはイエスを無理強いしません。自分の娘の病気と、この女性の病気の重要性を天秤にかけません。自分の権限の大きさを振りかざそうともしません。ヤイロは公平な人です。

 その時娘の訃報が届きます。それでもイエスの足は止まりません。ヤイロは、「恐れるな。ただ信ぜよ」とイエスに言われたので、イエスを自宅に連れて行きます。嘆き悲しむ人々に、イエスは「子どもは眠っているだけだ」と言い放ちます。夫婦は、「もしあなたがいてくれたら娘は死ななかっただろうに」(ヨハネ11章21・32節参照)という本音を押し殺し、黙って悲憤を抱えます。

 イエスはヤイロと彼の妻の目の前で今しがた死んだ娘の手を取り(これは律法によれば自らを汚す行為です)起こしました。ヤイロはイエスの公平な取り扱いに感謝をします。彼もイエスの復活を信じやすかった人物の一人でしょう。癒された女性たちはカファルナウムの教会(ヤイロの自宅か)の中心にいたはずです。JK