今回はプリスキラというユダヤ人女性キリスト者、紀元後1世紀の教会指導者の一人です。出身はポントス地方(小アジア半島黒海沿い)か、ローマ帝国の首都ローマ市か不明です。その一方で彼女の夫アキラがポントス出身であることは明らかです(使徒言行録18章2節)。二人の結婚の時期と、それぞれがキリスト者となった時期、ポントス地方とローマ市にキリスト教会が設立された時期は、連動して推測する必要があります。
プリスキラは夫やパウロと同じ天幕づくり職人です(同3節)。二人はローマで皮革製品の軍用テントを作りローマ帝国に売っていたのでしょう。その時二人はローマにある教会の指導者だったと推測されます。パウロが訪れる前にも教会はすでに存在していたという当たり前の事実にも注意が必要です。夫妻はローマ皇帝クラウディウスの「ユダヤ人追放」(後49年)を受けてギリシャのコリントに移住します(同2節)。その後パウロに共鳴し彼を居候させ、コリント教会を自宅で始めます。このコリント教会はギリシャで最も大きなパウロ系列の教会となります。
その後プリスキラは夫と共にエフェソに移住し、自宅を開放してエフェソにも教会を設立します(同19節)。彼女は雄弁家アポロをパウロ系列の教会に引き入れる説得に成功していますから、相当の雄弁家です(同26節)。19節と26節が「プリスキラとアキラ」という順番であることに、彼女の主導性が推認されます。彼女の指導力にもよりエフェソ教会もアシア地方最大の教会となります。
パウロはローマの信徒への手紙16章3節で、「プリスカとアキラによろしく」と述べています。パウロがこの手紙を書いた時には(後55年ごろ?)、プリスカ/プリスキラはローマに戻っていたようです。もともとローマ教会の中核にあった夫妻は、ローマの教会を非パウロ系列からパウロ系列に転向させることに成功したのでしょう。その後のプリスキラとアキラの足跡は不明です。JK