今回はアタルヤという女性。紀元前9世紀の人物です(王下8・11章)。
時は北イスラエル王国(オムリ王朝)と南ユダ王国(ダビデ王朝)の南北両王朝が対峙しているころ、北王国王アハブとイゼベル(フェニキア、シドン王エトバアルの娘)夫妻の娘アタルヤは、南王国王ヨラムと結婚させられました。政略結婚です。この結婚は南北両王国の軍事的緊張を緩和させました。夫の南王ヨラムはエドム王国との戦争も一因か、40歳で早逝します。そしてアタルヤの息子アハズヤが22歳で南王国の王に即位します。
南王アハズヤは、アタルヤの兄弟・北王ヨラム(夫ヨラムと同名異人)の傷病見舞いに北王国を訪れます。そこで北王国のクーデターに巻き込まれ、北王ヨラムだけではなくアハズヤも33歳で客死します。この時アタルヤの母親イゼベルも、クーデターを起こした将軍イエフに殺されています。こうして北王国はオムリ王朝からイエフ王朝に変わります。クーデターを後押しし、イエフ王朝を支えたのは預言者エリシャ(エリヤの弟子)の預言者集団です。
南王国の王位は家父長制に基づけばアハズヤの長男(アタルヤの孫)に継承されるはずです。しかし、アタルヤは当時の常識的な王位継承ルールを潔しとせず、自ら王に即位します。太后によるクーデターです。直ちに彼女は王位継承権を持つ男性の王族を粛清していきます。その中には当然自分の息子たちや孫たちも含まれています。イスラエル王政史上、唯一無二の「女王」の誕生です。しかもその母親はフェニキア人。アタルヤはこの時50歳ぐらいでしょうか。
アタルヤ王の統治は6年間で終わります。彼女の姪ヨシェバが匿った、アタルヤの孫ヨアシュ(男性)を擁立した祭司ヨヤダの更なるクーデターにより、再び南ユダ王国はダビデの男系子孫のものとされます。アタルヤは王宮で殺されました。彼女の破天荒な行動は「勝手に決められる人生」への抵抗かもしれません。JK