今回はヘロデ大王。クリスマス物語の悪役として有名な男性です。聖書以外の歴史資料にも拠って、彼の波乱万丈の人生を追ってみましょう。
ヘロデはイドマヤ人(エドム人)の父アンティパトロスとナバテア人の母キュプロスの間の次男として紀元前73年に生まれました。当時パレスチナ地域にはハスモン王国というユダヤ人の王朝がありました。アンティパトロスの悲願は、ハスモン王朝を打倒して自分の王朝を建てることです。そのためにローマ共和国に取り入ることに彼は成功しました。若きヘロデはローマに留学をしています。
前47年アンティパトロスはローマの政治指導者カエサルからローマ市民権を付与されユダヤの総督となり、ヘロデもガリラヤの長官となります。前44年カエサル暗殺、前43年アンティパトロスも暗殺。ここからヘロデはめきめきと頭角を現し、ハスモン王朝を脅かす人物となっていきます。カエサル死後は後継者であるアントニウスに、さらにアントニウス死後はオクタヴィアヌス(カエサルの甥。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス)に、自らの庇護者を巧みに乗り換えます。
前40年オクタヴィアヌスの推薦を受けた、ローマ共和国の元老院はヘロデをユダヤ人の王に任命します。ヘロデ王朝はハスモン王朝との三年間の内戦に勝利します。エルサレム包囲戦の最中、彼はハスモン家の王女マリアンメを妻としています。ユダヤ人の王としての正統性を主張したかったのでしょう(前37年)。
その後ヘロデはハスモン家の正当な王位継承者を立て続けに殺していき、妻マリアンメも彼女の母も殺します(前29年・28年)。死の直前には妻マリアンメから生まれた二人の息子も(前7年)、別の妻による長男も殺します(前4年)。マタイ2章の逸話は、彼の人となりを表しています。「ユダヤ人の王」という単語に敏感なのです。なおローマ流土木技術を駆使した建造物を多く新設・修復したことでもヘロデは有名です。彼の死の年がイエス誕生の年の下限です(前4年)。JK