今回は、アポロという男性。離散ユダヤ人のキリスト者です。
アポロはエジプトの大都市アレクサンドリア出身の離散ユダヤ人です。名前がギリシャ風なので少なくとも親の代からエジプトに住み、ギリシャ風文化(ヘレニズム文化)に慣れ親しんでいたことが推測されます。ユダヤ人街の会堂に通いながらもギリシャ語で生活をしていたのでしょう。おそらく彼はアレクサンドリアで生まれたギリシャ語訳旧約聖書に精通しています(使徒18章24節)。
長じてアポロは、バプテスマのヨハネの運動に傾倒します。ヨハネ自身は処刑された後でしょうけれども、ヨハネ教団からバプテスマを受けています。それだけではなく「主の道」(キリスト教会の信仰)を受け容れていたというのです(同25節)。アレクサンドリアに、ユダヤ教の「ヨハネ派」も「ナザレ派」も存在していたことが、アポロの人生経路によって証されています。アポロや彼の周辺の人々にとって両派に同時に加入することは矛盾を起こさないものでした。
アポロは海路で小アジア半島の大都市エフェソに渡り、会堂で「ヨハネ派」「ナザレ派」の混ざった聖書解釈を述べます。彼は雄弁家と称されるほどの人物です。エフェソ教会指導者のプリスキラとアキラ夫妻は、彼の人となりとその聖書解釈を聞きつけ、ナザレ派の中のパウロ系列の教会へと勧誘しました。アポロはエフェソ教会員となりめきめきと頭角を現します。
エフェソ教会は、パウロが去った後のコリント教会にアポロを指導者として推薦します。アポロはパウロの路線を引き継いでユダヤ教の会堂で論争を仕掛けるという伝道手法を採りました(同27節)。この手法はパウロよりも、雄弁家のアポロにとって適合していたようです。
後にコリント教会は、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」と分裂し葛藤を味わいますが(Ⅰコリ1章12節)、アポロの関与は不明です。JK