2025/05/21今週の一言

今回はバルナバというあだ名を持つ使徒ヨセフという男性です(使徒言行録4・11・13-15章)。「バルナバ(ナバの息子の意)」というあだ名の意味を、使徒言行録の著者ルカは「慰めの子」としていますが(同4章36節)、おそらく彼は「マナエン(メナヘム)」という人物の名前の意味と混同しています(同13章1節)。
ルカの混同はバルナバという人物の高潔さに由来すると思います。彼はレビ部族の血を引く離散ユダヤ人。いつ頃のことか分かりませんが、キプロス島からエルサレムに移住し土地を買います。そして、初代エルサレム教会のためにその土地を売却し、売却益をすべて教会に献金したのでした(同4章36-37節)。この行為はイスカリオテのユダと対比されています(同1章18節)。
バルナバはギリシャ語話者であったので、二つの教会を結び付ける連絡役として、エルサレム教会からアンティオキア教会に派遣されます(同11章19節以下)。ペトロやヨハネがアラム語圏に留まっていたことと対照的です。バルナバがステファノやフィリポらギリシャ語話者と親交があったこと、それと同時にペトロ、ヤコブ、ヨハネらアラム語話者にも信頼が厚かったことが伺われます。
アンティオキア教会の指導者となったバルナバは、故郷タルソスで燻っていたパウロをアンティオキア教会に招き入れます。元迫害者パウロの弁護人となって、人と人とを結びつけます。さらにエルサレム教会の若き指導者候補生ヨハネ・マルコも「留学生」として迎えます。彼の人格の大きさが分かります。
アンティオキア教会は、バルナバとパウロとマルコをキプロス島に派遣します。その布教活動はエルサレム教会にまで報告され、「割礼を不要とする伝道方策」が承認されました。バルナバが民族主義者らを説得したのです。次の伝道旅行にマルコを連れて行くかどうかを巡って、パウロは恩人バルナバを棄てます。教育者バルナバはあくまでも若者マルコを育てることを重視していました。JK