今回はダマスコのアナニアという男性です。アナニアはギリシャ語名で、ヘブル語名はハナニヤ。「ヤハウェは恵み深い」という意味の名前です。
ダマスコは非常に古くから交通の要衝として栄えた都市です。新約聖書の時代ローマ帝国は、隣接するアラビア王が代官を置くのを許すなど(コリントの信徒への手紙二12章32節)、ダマスコをゆるやかに統治していたようです。当時のユダヤ人歴史家によればダマスコのユダヤ人人口は15,000人。アナニアもその一人です。彼は「律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人」と評されています(使徒言行録22章12節)。
正統派ユダヤ教徒アナニアがキリスト者(ユダヤ教ナザレ派)となった経緯は不詳です。ステファノの殺害、ナザレ派の中のギリシャ語使用者たちへの迫害よりも前に、アラム語圏であるダマスコにはナザレ派の拠点は存在していたように思えます(同7-8章)。迫害者サウロ青年が息を弾ませて、多くの「異端」(ナザレ派)を逮捕するためにダマスコに行くためには、多くの信者が生まれるための時間が必要でしょう。ペンテコステ後数年をかけてアラム語を使う名もない信徒たちが、エルサレムからガリラヤを経由して移住し、ダマスコにも「家の教会」を創っていたのです。アナニアの自宅こそがダマスコ教会だったと推測します。
神はアナニアを選び、サウロの目からうろこを取り除くように勧めました。「異端」迫害を正統化する「正統」意識によって、思考停止状態になっていることが「目にかぶさったうろこ」です。アナニアはこの召しに当初抗います。教会の責任者として当然の危機管理です。しかし結局自由な神の意思に従い、サウロが自らの頭で考えられるように自由を与えるのです。さらにアナニアはバプテスマをし、彼をダマスコ教会員として迎え入れることまでします。ゆるやかな町のダマスコ教会の、ゆるい指導者アナニアは、自由の価値をサウロに教えています。JK