2025/08/27今週の一言

今回はバルティマイという男性。マルコ10章46-52節に登場します。エリコという町の住民です。「バル~」はアラム語で「~の息子」という意味です。彼は「ティマイの子バルティマイ」(46節)とも言われているので、「バルティマイ」は単なるあだ名だったのかもしれません。「バルトロマイ」「バルナバ」「バルサバ」「バルイエス」「バラバ(バル・アッバ)」など類似の名前/あだ名は多く報告されています。ティマイの息子としてしか呼ばれていない人物。社会の片隅で小さくさせられていた彼の叫びが痛切です。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」(47-48節)。

おそらく中途失明のために彼は職を失い「物乞い生活」に転落しました。福祉の行き届かない古代社会のこと、実に不本意です。彼はイエスが徴税人ザアカイの家に宿泊したことを知っています(ルカ19章)。イエスは木の上から見物する富者ザアカイを見つけ、「徴税人宅宿泊予定」をその場で彼に告げたと聞きます。徴税人の家に入るという「宗教上の汚れ」をイエスは気にしない、社会で小さくされている富者をも探し出して救う、それがナザレのイエス。

「ザアカイだけではなくわたしをも見つけ出してほしい」とバルティマイは叫び続けます。不正な裁判官に訴え続けるやもめに似ています(ルカ18章)。この叫びをイエスは聞き逃しません。イエスに呼び寄せられ、跳び上がってバルティマイは、「ラボニ、わたしが再び見えるように」(51節)と迫ります。マグダラのマリアと同じく「ラボニ」という呼称をイエスに用いていることは見過ごせません。深い信頼を感じます。彼が「再び見ること」を希望していることから中途失明の苦労も推測されます。バルティマイの信が彼を救い、彼の視力が回復しました。

バルティマイは即座に弟子となり、エルサレムへの道を共に歩みます(52節)。彼もまたイエスの十字架と復活を証言する初代教会創立メンバーです。JK