今回は、「エルサレム神殿に2レプトンを献金した、名前の知られていない女性」です。「貧しいやもめ」と形容されています(マルコ福音書12章41-44節)。
彼女の年齢も、人生経路も分かりません。何度結婚したのかも不明です。否、より正確に言うならば、法令上・慣例上彼女が何度結婚させられたのかは不明です(12章19節。創世記38章、申命記25章5節、ヨハネ福音書4章18節)。
マルコ福音書の文脈では(ルカもそれを踏襲)、直前の12章40節でイエスは「やもめの家を食い物にしている律法学者」を批判しています。ガリラヤ地方でのイエスの言動には、やもめを搾取する律法学者批判はありません。ユダヤ地方・首都エルサレムに来てから、この独特の宗教者の為す偽善に気づいたように読めます。つまり、献金をした女性こそが、イエスのエルサレム滞在中に、とある律法学者が自分にしている悪行を告発したのではないかと思うのです。
イエスはやもめに好意的です(ルカ福音書7章11-17節、18章1-8節)。イエスにはやもめである母親マリアを家もろとも棄てたことに対する負い目があります。また後にマリアが弟子となって同行していることも影響しているでしょう。件のやもめはイエスを知っていたのではないかと、想像の翼を広げてみます。たとえば、彼女の生活支援をするベタニヤ村のマルタの家で、その家に滞在しながらエルサレムに日参しているイエス一行と、偶然的かつ必然的に出会っていたのかもしれません。そして、同じ境遇の人がいる安心感から、やもめは人生の苦労をすべて、彼ら彼女たちに打ち明けていたのではないでしょうか。
とある日、敬虔な彼女は宗教者に搾取され続けても、なお神への信を保ち続けエルサレム神殿の賽銭箱に献金を投げ入れます。イエスは、「あなたの行動はあなたを苦しめている宗教者たちに利する」と彼女を批判しません。「誰よりも多い献金をささげた人物」として、イエスは彼女を賞賛し彼女の人生を肯定します。JK