今回は、エレミヤという男性、紀元前7-6世紀に活躍した南王国の預言者です。ベニヤミン部族の所領アナトトという村の祭司です。ソロモン王によって左遷させられた祭司アビアタルの子孫と推測されています(列王記上2章26-27節)。預言者エレミヤの反骨精神の源と考えられます。
エレミヤは若い時に預言者としての召命を受けています。時代は前622年に開始された、ヨシヤ王による「申命記改革」の真っただ中です。それは、申命記を最高法規として国家の行政機構を組み直し、エルサレム神殿のみを礼拝施設とした祭政一致の中央集権国家をつくり、軍事拡張を行うという政策です。エレミヤ青年もこの国策・政治運動に当初参与していた節があります。
前609年、ヨシヤ王の戦死(暗殺による死?)によって改革は頓挫し、エレミヤの思想は固まります。前8世紀の預言者たちと同じように、<悔い改めない神の民は「北の大国」によって滅ぼされる、なぜなら神が列強を用いてご自分の民を懲罰しようとしているから>と警告を発するようになるのです。「権力に結び付く神殿は腐敗し強盗の巣となる」。国が増上慢となるときに彼は滅びを語ります。それゆえエレミヤは、エルサレム不落神話を奉ずる国家(王宮)から「偽預言者」「非国民」と烙印を押され、迫害され投獄されました。王の官僚バルクの庇護なしには生き延びえなかったことでしょう。このバルクが「エレミヤ書」の原型を保管し、バビロンの地に持参した人物と目されています。
歴史はエレミヤの預言通りに進み、南ユダ王国は二度のバビロン捕囚を経験します(前598年・前587年)。国の破局のときにエレミヤは希望を語ります。新しい契約によって滅亡をくぐり抜けて神の民は再生するというのです。前587年神殿も王宮も破壊された後(エレミヤが真実の預言者と証明された時でもあります)、エレミヤは弟子たちによってエジプトへと連れ出されたと伝えられています。JK