今回はヨハナという女性弟子。ルカ福音書8章3節と24章10節に登場します。
ヨハナにはクザという夫がいました。クザという男性は、ガリラヤ地方の領主ヘロデの「家令」(ギリシャ語:エピトロポス)です。エピトロポスという単語は聖書に3回しか登場しません。マタイ福音書20章8節では「(葡萄園の労働者たちの)監督」と訳され、ガラテヤ4章2節では「後見人」と訳されています。同根の名詞エピトロペーは「権限」「許可」(使徒言行録26章12節)なので、クザという人が権力者のもとに大きな権限を持っていたことが伺えます。
ルカ8章2節を読むと、ヨハナはマグダラのマリアと同様に、イエスから悪霊祓いを受けて癒され、それをきっかけに女性弟子となった人物です。夫がいかに出世していても、また地上で力を持っていても、彼女を癒すことはできません。神の支配の到来を告げながら、人々を癒していった奇跡行者、ナザレのイエスだけが彼女を救いました。しかも、彼女の夫の地位などは関係なく、イエスは貧者にも富者にも癒しを与え、平等に仕え合う交わりに招いたのです。おそらくヨハナは、旅を続ける「神の支配運動」を資金面で支援しながら、しかも自身も旅に同行します。ヨハナもまた、イエスの十字架と埋葬を見届けた女性弟子たちの中にいました(23章49・55節)。
ルカ福音書は復活のイエスの証人である女性弟子を、「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア」の三人とします(24章10節)。マルコ16章1節はヨハナではなく「サロメ」としています。おそらく同一人物でしょう。マタイ福音書28章1節はヨハナ/サロメを削除しています。
ヨハナという女性弟子を記念したいと思います。彼女は、「無条件の救いとは何か」「自分の人生という限られた条件の下で神に従うとは何か」「社会的に与えられた条件なるものが妥当か」等の問いを、わたしたちに突き付けています。JK
