今回はゼファニヤという男性預言者。紀元前7世紀の南ユダ王国の人物です。父親の名前が「クシュ」(「エチオピア」の意)であることから、黒人の預言者であるということや、ヒゼキヤ王の玄孫であることなども取りざたされています(ゼファ1:1)。興味深い推測です。王族であるので読み書きに長け、前8世紀の預言書(アモス・ホセア・イザヤ・ミカ)にも触れることができたけれども、肌の色から重用されなかった思想家という人物像が浮かび上がるからです。
ゼファニヤはマナセ王の治世(前696-642年)に生まれています。この時代、ユダは北東の列強アッシリア帝国に朝貢・臣従していました。同国のエジプト遠征にまで同行するほどです(前667年)。アッシリアの傀儡マナセ王は国内に厳しい思想弾圧を布きます。エルサレム神殿にアッシリア風の神々の像が置かれ拝まれていたのです(王下21章)。自由な預言活動は制約されていたため、ゼファニヤのような重用されない思想家・行政官たちは地下に潜ります。そしてユダの政治的独立を果たすための計画を練ります。「申命記」という法で国を統治し、アッシリア王にではなくヤハウェ神にのみ忠誠を誓う国造りです。この集団が「国の民」(アム・ハ・アレツ)。女性預言者フルダ夫妻もその一員でしょう(王下22章)。
機を見計らっていた国の民はマナセ王の息子アモン王を暗殺し、その息子ヨシヤ王を擁立しました(前639年)。晴れて預言書を公にすることができるようになったゼファニヤは自らの預言書を著します(ゼファニヤ書)。自国の滅亡を警告しつつ(アモス書に類似)、アッシリアからの独立を予告し、ヤハウェへの礼拝の回復という希望を、彼は語っています。この言葉がヨシヤ王による「申命記改革」(前622-609年。エルサレムへの中央集権と旧北王国領の軍事占領)を後押ししました。また若き預言者エレミヤもゼファニヤやフルダの背中を見て預言者としての召命を受けます(前626年)。預言の伝統を復活させたことにゼファニヤの貢献があります。JK
