4月12日の「聖書のいづみ」では出エジプト記34章22節を学びました。「七週祭」「取り入れの祭(仮庵祭)」の規定です。出エジプト記23章16節にも同じような規定が既に登場していました。どちらもほんの一節に、あっさりとした形で二つの祭を記しています。しかし、この二つの祭は共に、過越祭と並ぶ「ユダヤ教三大祝祭」に数えられます。ここには両者の歴史的発展が認められます。七週祭と仮庵祭規定の拡張版であるレビ記23章と申命記16章を参照すると、二つの祭が段々と重要なものに格上げされていく足跡が見えます。
元来、七週祭は春の収穫祭であり、仮庵祭は秋の収穫祭だったことでしょう。そのことは出エジプト記23・34章から明らかです。カナンの地での農耕祭儀が二つの祭の起源です。
イスラエルはそのような土着の祭を、自分たちの信仰と組み合わせました。エジプトの地から解放され、シナイ山で主と契約を結び、そのしるしとして律法を授けられたことを記念する日に、七週祭は後に意味づけられます。自分たちが救われたという歴史と、すでにある暦を結びつけることを「歴史化」と呼びます。
同じように「取り入れの祭」が歴史化されます。この土着の収穫祭の時期に、イスラエルの人々が仮庵に野営することが義務付けられます。それによって、エジプトから約束の地に入るまで荒野を天幕で野営しながら旅したことを記念するのです(レビ記23章43節)。
三大祝祭日にはエルサレム巡礼も義務付けられます(申命記16章16節「主の選ばれる場所」)。イエスが過越祭の時期にエルサレムで殺害されたことや、仮庵祭の時期にエルサレム巡礼をしていること(ヨハネ福音書7章)、七週祭(ギリシャ語「五旬祭」使徒言行録2章)の時期にさまざまな地域からのユダヤ人がエルサレムに集まっていたことの背景には、このような三大祝祭を格上げする聖句の拡張発展があるのです。
さらに現在のユダヤ教では、それぞれの祭に朗読されるべき聖書各巻も指定されています。過越祭には雅歌、七週祭にはルツ記、仮庵祭にはコヘレトの言葉が読まれることになっています。それは聖書を聖書によって解釈する営みです。祭に参加する者は、三大祝祭についての聖句を、各書と関係付けて読むように促されるのです。
こういった重層的な発展の末、七週祭と仮庵祭は確固たる地位を築きました。キリスト教会は、ユダヤ教の暦を下敷きにして、さらなる歴史化・正典の拡大成長を行いました。教会暦の創設と、旧約聖書に対する新約聖書の接続です。JK