昭和天皇の誕生日を記念する4月29日と日本国憲法の施行を記念する5月3日が、おそらくは偶然でしょうけれども、日程的に近いという事実は、ある種の感慨をもたらします。天皇制・戦争・憲法について、どうしてもこの時期に考えさせられるからです。忘れてはいけない重大事というものが確かにあります。
「敗戦後70年」と言います。確かに1945-47年は時代を画しています。米・英・仏・ソ・中の連合国に敗れ、大日本帝国から日本国へ国の名前が変わり、大日本帝国憲法が日本国憲法に全部改正・施行され、それに合わせて統治機構も改正されたからです。ここには断絶と変化があります。ただしその変革程度は江戸幕府の徳川政権から薩長土肥による明治政府への転換よりも小さいように見えます。
むしろ敗戦後も変化せずに連続していることがらの方が多いでしょう。たとえば、十五年戦争を開始した昭和天皇は退位しませんでした。元号が再法制化される前も「昭和」が用いられ続け、結果元号制が復古されました。
多くの「祭日」は軍国主義を下支えする国家神道(天皇を頂点とする政教一致した制度)に根ざしたものだったので、敗戦後に廃止されました。2月11日の「紀元節」はその典型例です。記紀神話に基づく神武天皇即位の記念日は、天皇制軍国主義推進のために国家によって大いに利用されたからです。11月3日の「明治節(明治天皇の誕生日)」は「文化の日」として例外的に残されました。日本国憲法成立・制定の日(1946年11月3日)となったことが例外の理由ではと推測します。
敗戦という断絶を弱め戦前との連続を強める動きは一貫して親米右派政権が続けてきました。紀元節は「建国記念の日」として復古され、昭和天皇の死去に伴う現天皇の即位の礼・大嘗祭は前回と同じ内容で行われました。自衛隊法・PKO協力法の成立、国旗国歌法の成立など、軍備増強と教育統制も同じ復古路線です。
昭和天皇の死去当時(1989年)、現役ではない天皇の誕生日が国民の休日となり続けうるかは議論の的でした。如上の経緯から当然です。政府は世論に配慮して4月29日を「みどりの日」としました。その後5月4日を「みどりの日」と定めた時に、4月29日を「昭和の日」としました。もはや世論は問題の所在を忘れていました。元号も法制化された後だったので「昭和」を公に使うこともできました。主権者の忘れっぽさが権力者の暴走を黙認しているのです。 JK