5/22今週の一言

5月22日の祈り会では創世記6章1-8節、7章1-4節を学びました。

洪水物語/神話は世界中にあります。共通の大筋は、未曽有の大洪水に際して船に乗って助かった人々がいる、というものです。メソポタミア文明においてもギルガメシュ叙事詩の中に洪水神話が書かれています。これが現存する史上最古の洪水物語です。それは「自然災害がなぜ起こるのか/死者と生者を分けるものは何か」という問いに対する古代人の答えです。

バビロン捕囚においてメソポタミアの洪水物語に触れたユダヤ人は、伝説の義人ノア(エゼキエル14:14他)と、洪水物語を結び付けました。五書を編纂しているJ集団は、洪水の原因を「創造主の後悔」とみなしました。J集団の描く神像はきわめて人間臭いものです。

神は「ヤハウェ(訳せば「主」)」という固有の名前を持っています。ヤハウェは、手でこねた泥から原人間を造り、原人間の鼻に口づけして息を吹き込み、「生ける命」にします(2章)。

そのヤハウェが人間の創造を後悔したというのです。人間が悪いからなのだそうです(6:5-7)。後悔する/悔い改めるという行為は、神にしては人間っぽいものです。もし神が全知全能ならば後悔することはありえないように思えるからです。そしてヤハウェは、すべてのいのちを地上から手でぬぐい去ることを決意します。ここでもまた手作業が想定されています。「洪水はヤハウェの拭き掃除である」と観念されています。

これらの人間的な描写は、聖書の神が人格を持っているということを表しています。ヤハウェは、心動かし、感動し、怒り、悲しみ、喜ぶ神です。また、自由な意思を持ち、決めたことを翻すことも不平等な決断をすることもあります(例えば動物が巻き添えになることの不公平)。この自由意思が洪水の根本原因であると、J集団は結論付けます。ヤハウェは愛したい者を愛し、義と認め、その理由についてはヤハウェだけが知っているのです(6:8、7:1)。

自然災害の原因は分かりません。なぜあの人たちが津波に流され、なぜわたしたちが今生きているのか、安易な回答は慎むべきでしょう。J集団による洪水物語は、「分からない」という回答の一種です。(JK)