6月12日の祈り会では創世記11章1-9節を学びました。
神学者の栗林輝夫はバベルの塔の物語を、東京電力福島第一原子力発電所事故と重ね合わせて読み解きます。以下、『原子力発電の根本問題と我々の選択―バベルの塔をあとにして』(新教出版社)を参考にした論述です。
バベルの塔は当時の文明の粋を集めた科学技術の結晶です。原子力の核分裂を制御するという現代科学技術の最先端と似ています。ここに科学崇拝という一種の「偶像礼拝」があります。「科学の進歩=幸福な未来」という図式の怪しさを今やわたしたちは深刻に考えなくてはいけません。なぜなら人類は、あらゆる最先端技術を必ず軍事利用してきたからです。原子炉は、元々から今に至るまで、プルトニウムという核兵器の原料を取り出すための装置です。科学技術は倫理の視点から常に牽制・抑制されるべきなのです。神学はその倫理に資するものです。人が神の位置に立とうとすることを神学は批判するからです。
さらに、バベルの塔は中央集権支配と収奪の道具でもあります。メソポタミア文明の誇るジックラトという塔は、大人数を特定の場所に動員する権力なしにはできない巨大建造物です(七層90メートルの高さ)。ユダヤの民はバビロン捕囚を機に、さまざまな捕虜たち、強制連行された被支配民たちが、首都バビロンに連れられ徴用された姿を見たのです。多くの文化や言語を持つ人々が、アッカド語バビロニア方言を語ることを強いられ、作業に従事させられたのでした。それを可能にしたのは王権を頂点とする官僚制度と身分制度です。支配者層の権力の源泉はアッカド語という支配的言語を操る力でした。
「原子力ムラ」が一つの支配的言語で多くの人々を騙していたことが3.11以後明らかになりました。その目的は結局お金儲けです。大企業である電力会社は多額の政治献金・与党支持の投票行動によって原子力行政を推進する法律を与党議員に作らせました。それはゼネコンを潤しました。また、賄賂までも発電費用に計上して電気料金を上乗せして一般利用者から不当に利益を得ました。被ばく労働者の給与をピンはねしました。批判すべき報道も学界も裁判所も、電力会社からの莫大なスポンサー料と政治的圧力によって原子力行政を推進しました。
一人ひとりが主権者として異なる言葉・自分の意見を発する時に、バベルの塔の建築は中断されます。経済至上主義からの脱却が望まれます。(JK)