6/19今週の一言

6月19日の祈り会では創世記12章1-9節を学びました。

創世記の1-11章を「原初史」と呼びます。世界や人間存在を普遍的なかたちで問う内容です。創世記は12章から「始祖たちの物語」に入ります。世界大の物語から、ひと組の夫婦とその郎党の物語へ。アブラム・サライ夫妻がどのようなかたちでユダヤ人の先祖となったのか、バビロン捕囚を経験しメソポタミアに住むユダヤ人が希望を持つような筆致で物語は書き進められます。

アブラムとサライは、アブラムの父親が途中で諦めた出メソポタミアの旅を再開します。長男であったアブラムが父の存命中に、「父の家」を棄てて出奔することは、家父長制の強い社会にあっては相当に思い切った行動です。ヤハウェ(「彼は成らしめる」の意)という名を持つ神は、「あなたのために行け」(1節直訳)と家出を励まします。おそらく家制度に不満を持つ妻サライと甥ロトも、アブラムと行動を共にします(5節)。

アブラム・サライに与えられた祝福の約束は、①子孫の繁栄・②土地の授与です(2・7節)。この時点でこの二つは、かなえられそうにない約束に思えます。夫婦は75歳と65歳になっており(4節)、約束された土地にはカナン人がすでに住んでいるからです(6節)。しかも、アブラム・サライ一行はいったん入ったカナン地方を通り過ぎて、定住する素振りすら見せないからです(6・9節)。彼ら・彼女らは、行く先々で祭壇を築いてヤハウェの名を呼ぶ礼拝をしますが、決して定住はしませんでした。あえて、約束の土地が与えられていない状態・ゴールの未達成をつくりだしているのです。

この群れの行動は、イエスの開始した「神の国運動」と、イエスの十字架刑死・復活・昇天・聖霊降臨後のキリスト教会の活動と重なり合います。家を棄てた人々/村社会から追放された人々を巻き込みながら、イエス一行は決して定住しませんでした。そしてイエスを中心に座り、イエスの教えを聞き、食卓を囲み、教えを具体的行動に移しました。

教会は定住をしましたが、「地上では旅人」「仮住まい」という姿勢を保ち、常に終わらない目標を掲げて歩んでいます。教会は世の終わりに神の国が完成するまでの暫定的な存在に過ぎません。その時まで教会は、家制度を超えた、個人を尊重する群れを、毎週着実に礼拝しながらかたちづくるのです。(JK)