6月24日の聖書のいづみではマタイによる福音書6章24節を学びました。ルカ16章13節に並行箇所があるので、今回も「Q資料」と呼ばれる「イエスの説話集」の一部です。
マタイとルカを比較すると単語レベルでもほとんど同じです。唯一の相違点は「召し使い」というルカの付け加えです。この単語はルカの編集上の付加であると判断できます。なぜなら、ルカ16章1節以下の「不正な管理人のたとえ」はルカにしかない記述だからです。学問上「ルカ特殊資料」と呼ばれます。ルカは、Q資料から「神と富に兼ね仕えることができない」という言葉を、「神に仕えること」という主題を立てて、自分の持っている説話伝承に接合させたのです。
それに対してマタイは同じQ資料の素材を、「富と心」という単元の中に置きました(マタイ6章19-24節)。話題の焦点は「富」にあり、「神に仕えること」とはズレています。富とは何か、その本質を衝くことがマタイの主眼です。
マタイの姿勢は、元来のイエスの言葉と思想とも重なるものです。「富(マモン)」は魔物です。人によっては富を神とし、富にひれ伏し、富を礼拝してしまうことがありえます(マタイ4章8節以下)。富は人格を持ちませんが、しかし「疑似神」たりうる、恐るべき存在です。
「主人(キュリオス)」は、旧約聖書の神名ヤハウェの訳語です。新約聖書においてもキリスト者は「イエスは主(キュリオス)なり」と告白したのでした。預言者エリヤが「ヤハウェかバアルか」と問うた姿勢と重なります。ちなみに五穀豊穣の神であるバアルという言葉も「主人」「夫」を意味します。経済政策では成功していた北イスラエル王国のアハブ王を批判していたエリヤは、「神か富か、どちらかをとれ」と叫んでいたのでしょう。
経済至上主義というものがわたしたちの世界を覆っているように思えます。「アベノミクスの成果を問う」という問いだてならば選挙に勝つ現実があります。仮に一部特権階級にアベノミクスの恩恵が及んでいるとしても、他国の戦争に自衛隊が参加することまでは賛同していない人が大多数でしょう。武器輸出三原則もすでに変更されています。平和国家の根幹がなし崩しにされています。経済が戦争を求めている現実を改めなくてはいけません。 JK