6月26日に『ザ・思いやり』という映画を観ました。リラン・バクレー監督は、日本バプテスト連盟相模中央教会の教会員です。米国人監督が、日本の「思いやり予算」の不条理をユーモラスにえぐっていくところに、この映画の面白みがあります。在日米軍にかかる直接経費(2015年度4667億円)・間接経費(同4244億円)を、なぜ米国ではなく日本が負担しなくてはいけないのか。そのお金があるなら、なぜ激甚災害被災者などへの支援に回さないのか。素朴な問いではありますが、実に本質的です。誰が総額8911億円の使途を決めうるのでしょうか。米兵の住む広い住宅と、被災者の住む狭い仮設住宅が、スクリーンで鋭く対比させられています。
要は税金とは何かということに帰結します。映画の中で、監督からインタビューを受けた米国人・ブラジル人・フランス人らは、「日本の納税者は怒るべきだ」と語ります。「納税者主権」という考えから言えば、当然の主張です。
古くから「代表なしに課税なし」と言います。議会に代表を送れないにもかかわらず重税だけが課されていく植民地の怒りから、アメリカ独立戦争は始まりました。米国人監督の視点が光っています。納税者にこそ主権があり、主権の行使のために、自分の代表を議会に送る権利があるのです。
納税者主権に関係して二つの留意点があります。一つ目に、生活保護受給者や年金受給者、子どもなど税金を納めていない人々にも、当然主権はあります。赤ちゃんも主権者です。二つ目に、現状で税金を納める義務を果たしながらも参政権が狭められている人には、十全な参政権が保障されるべきだということです。
税金と選挙は、代表制民主政治の基礎を成す仕組みです。国家という枠組みを考えることや、主権者とは何かを考えることが必要です。国家という「非営利団体」を運営しているのはわたしたち一人一人なのですから、自分の代表を送り込んで、自分の願う税金の配分をさせなくてはいけません。
自分の税金がいくらであるかを自覚する労働者の数が日本では極端に少ないという現実があります。戦前から軍費を効率的に徴収するために導入されている源泉徴収という仕組み(天引きされた給与を会社からもらう)に一因があります。日本は世界一納税意識が低い国です。まずは自分の税額を知ることが主権者教育の第一歩です。痛みを自覚し、「痛みと同等程度のやりがいのある政策」に自分の税金が使われているかどうかを常に監視すべきです。タックスヘイブンや法人減税など、税逃れをしがちな大企業や金持ちへの憤りも、自分が誠実な納税者であればこそでしょう。
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(マルコ12章17節)とイエスは税金の使途を重視しました。納税者にとって当たり前です。JK