7月1日の聖書のいづみはお休みだったので、今週は随筆風に。
今年度から幼稚園・教会から毎週一日の休日をいただいています。おもにその一日を用いて取り組んでいることがあります。「市民に選挙をとりもどすプロジェクト(略称とりプロ)」という市民運動です。
自分自身にとって新しい挑戦であるのは、国会議員へのロビイング活動です。選挙については右も左もありません。全国会議員に共通する話題です。より良い選挙運営法や選挙制度を提示すべく、予約をした上での面談を全会派の議員/秘書と継続して行っています。現在30名ほどの議員/秘書と会い、わたしたちのプロジェクトに賛同してくれる議員も7名になりました(自民1・民主3・維新2・社民1)。
そのような折、礼拝の中で毎週出エジプト記を分かち合うことができるのは恵みです。特に、7章から延々と続く「モーセ・アロンのファラオとの交渉」には、個人的に深い慰めと励ましを与えられています。こんなに詳細に「十の災い」について読んだこともなく、毎回が新鮮な驚きの連続でした。「説教者は第一の聴衆である」と言われます。会衆より一足先に聖書の指針に触れることができるのは、説教に携わる者の特権です。
たとえば、モーセとアロンが良いチームを作っていることが分かりました。特にアロンはモーセの足りないところをうまく補っているし、彼が交渉において重要な役割を担っていることを再認識しました。本文は注意深く「モーセとアロン」と二人を併記していることに今まで無頓着でした。
ヘブライ人たちが二人を信頼して派遣している様子が分かりました。ヘブライ人にも害が及ぶ場合もあったにもかかわらず黙って共に忍耐しているからです。
ファラオがかたくなであることの理由が分かりました。国家権力というものは本質的に硬直化しやすいし、そのようなものとして神が国家を立てています。「ヤハウェがファラオをかたくなにした」という繰り返しに独特の意義があります。
その一方で、ファラオの家臣もエジプトの民も、次第にヘブライ人に好意的になっていく様子が分かりました。少しずつロビイング活動の実りが上がって、エジプト人たちが悔い改めていく様子に、希望を与えられています。出エジプトという救いの出来事は、被抑圧者と抑圧者双方の解放です。 JK