ヨハネ福音書を礼拝で少しずつ読んでいます。説教で取り上げにくい煩雑な情報をここで分かち合いたいと思います。
イエスの「伝記」である福音書は、現在の新約聖書には4つ所収されています。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの順番です。この4つのみに制限されたことや、この順番に定まったのは紀元後4世紀のことです。この順番のためにヨハネは「第四福音書」などとも呼ばれます。
ヨハネを四番目にした理由はいくつかあります。一つの理由は、マタイ・マルコ・ルカがよく似ているということです。「共観福音書」と呼び慣わします。だからこの三つは一塊にしたほうが良いとされたのです。もう一つの理由は、マタイを冒頭にした方が座りが良いという判断です。マタイ福音書の冒頭には系図が記載されており、それは旧約聖書と新約聖書とを結びつけるのに都合が良いのです。なお、マルコ・ルカの順番は、マルコがマタイの要約とみなされていたこと、ルカとヨハネの記述に似ているものがあること、ルカ福音書とその続編である使徒言行録とをあまり離したくなかったことなどの理由がありえます。
18世紀頃から発達した近代聖書学は、四つの福音書の成立年代や、それぞれの関係についてさまざまな知的発見をもたらしました。マタイ・マルコ・ルカが似ている理由については、マルコが最初に書かれたこと、それをマタイとルカが下敷きにして独自の記述を加えたことは、もはや定説です(「二資料仮説」)。最古と認められたマルコ福音書の史的価値は飛躍的に高まりました。「史実を探るためにはまずマルコを調べる」というのは新約聖書学の常識です。
問題はヨハネ福音書とマルコ福音書との関係です。ヨハネはマルコを知っていて独自路線を貫いたのか、それとも知らずに書いているのか、未だに学説は割れています。田川建三の説に従って、マルコを知っていて書いているとわたしは考えます。ただしマタイやルカのように丸ごとコピペ(剽窃)するのではなく、ヨハネは参考程度にマルコを自由に用いています。ヨハネはマルコに対抗意識を強く持っています。「細かい事実について自分の方がマルコよりも知っている」という態度を露骨に示します。そのような観点からもマルコに直接依拠することを避けているのでしょう。「史実を探るためにはヨハネも調べる」ことが必要です。実際ヨハネが細かい史実を正確に伝えている場合が多いからです。(JK)