7/29今週の一言

「戦争とは何か」を問うことは、「平和とは何か」を問うことです。もちろん「戦争ではない状態が平和である」ことは間違いありません。敗戦後70年間、日本国という国家が武力行使によって外国人を殺害していないことは、記念碑的な事実です。日本国の前身である大日本帝国という国家が、77年間で(1868年-1945年)アイヌ・琉球を始め武力行使によって多くの外国人を殺害した事実に比べれば、その道義的立派さは際立ちます。

その一方で、今一度この70年間を点検したいと思います。本当に戦争ではない状態の平和だったのでしょうか。日本国は戦争に参加しなかったのでしょうか。わたしは間接的な戦争参加が70年間続いていたと考えます。なぜなら米軍基地が切れ目なく置かれているからです。その基地が拠点となり朝鮮戦争・ベトナム戦争を支えたからです。また、アフガン戦争では他国軍への給油・イラク戦争では他国軍の輸送など、自衛隊は兵站として参与しています。

また、他国に武器や武器の部品を売る行為も、戦争を煽る行為として倫理的に問題になるでしょう。「朝鮮特需による戦後復興」や、武器輸出三原則が緩められ軍需産業が勢いづいている現状も、倫理的に問われます。特定秘密保護法成立によって、どのような武器を防衛省が購入しているのか、米軍との一体化の進捗状況が隠されることも憂えるべき状況です。

日本国は70年間、「巧妙に隠されたかたちで」/「狡猾に見ないふりをして」、消極的・間接的に戦争に加担し、その参与度は強まっています。まず、この状況を止めることが「戦争ではない状態」の実現です。この視点に立って、現在参議院で審議されている安保関連法案に、わたしは反対です。

ただし「どのような状況が平和なのか」も、改めて考えなくてはいけないでしょう。「戦争ではない状態」だけが平和ではありません。社会の中で倫理的に確立しなくてはいけないことは、力による支配の否定や、金儲けがすべてという考え方の否定です。それは話し合いによる問題解決という手段に導かれます。特に小さくされている人の声を率先して聞く姿勢での話し合いが必要です。

家庭でも学校でも職場でも教会でも議会でも国際社会でも、この意味の平和が実現されなくてはいけません。そうすれば戦争も止むのですから。 JK