7月8日の聖書のいづみではマタイによる福音書6章25-34節を学びました。ルカ12章22-32節に並行箇所がありますので、今回もQ資料/伝承と呼ばれるイエスの説話集です。
この教えの概要は生前のイエスにまで遡るものです。イエスは「アッバ(お父ちゃん)」と神を呼び、そのあっけらかんとした神への信頼を示しました。イエスの信じる神は、世界全体を創り、善人の上にも悪人の上にも雨を降らせる方です。空の鳥も野の花もあくせく生きていません。それでも神はそれらのいのちを守ります。被造物は神を信頼して思い悩みません。そうだとすれば、人間も同じ被造物として植物・動物と同じ心境に至ることが求められます。
唯一人間だけが未来について考えることができる動物と言われます。しかし明日を考えうるという知的能力が、今日を生きる活力を奪うとすれば皮肉なことです。神に全幅の信をおいて、一日を誠実に生きることこそ、被造物としてのふさわしい生き方です。
ルカとの異同に着目すると、ルカ版では「鳥」が「カラス」となっています。カラスが元来のイエスの言葉でしょう。旧約聖書の律法によればカラスは宗教的に汚れている動物です。「神の創った動物に清いものと汚れたものの別は無い」という思想は、徴税人・娼婦・「罪人」と食卓を囲んだイエスの実践と重なります。すべての人を招く食卓における相互の給仕こそ神の国(支配)の実現です。
また、マタイ版では「神の国と神の義を求めよ」という具合に「義」が付け加わっています。マタイは「義」を鍵語として用います(5章6・10節)。それによって天の神への信頼が地上で正義を行うことと結びつけられます。特に、「富」についての単元(6章19-24節)の直後に、「思い悩むな」の単元を置いた編集上の意図を読み取る必要があります。義は富を相対化する生き方です。
今日の世界において必要なことは、アイヌの知恵である「知足」という生き方ではないでしょうか。「足りることを知る」、つまりそれ以上のことを貪らないという生き方です。「株価がすべて」という経済至上主義は、正に明日のことを思い悩む生き方の象徴です。そこからの発想の転換が求められます。 JK