日曜日の礼拝説教で毎週ルカによる福音書を取り上げています。著者ルカと、ルカ福音書の読者である「ルカの在籍した教会に連なる人々」の信仰が垣間見えて、非常に参考になります。一般に著作というものは、著者個人の主張だけが述べられているのではありません。受け手である読者たちが、有形無形の影響力によって著者に語らせる内容もあるからです。特に、毎週の教会の礼拝で用いられることを想定して編纂された「福音書」であれば、読者の信仰という要素は重要です。ルカ教会の告白する信仰から逸れた内容をルカは書くことができません。
ルカ教会の信仰は、ルカ福音書にあってマルコ福音書に無い部分や、マルコ福音書を大胆に改変した部分に、特徴的に現れています。前者の例には、バプテスマのヨハネとその両親についての貴重な伝承(1章)や、イエスの母マリアや羊飼いに焦点を合わせたクリスマス物語と少年イエスの逸話(2章)、独自の系図(3章)が挙げられます。
最古の福音書を著したマルコは、イエスの生涯の最後にだけ光をあてた伝記、福音書という文学を創始しました。マルコ教会ではイエスの誕生に力点は無かったのでしょう。それに対して、ルカは母親マリアの視点で、神の子が地上に無力な赤ん坊として生まれることの意義を強調しています。読者はマリアと共に、「主があなたと共に」の意味や(1章29節)、「イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりする」ことの意味(2章34節)、イエスがエルサレム神殿で学者たちと論争することの意味を、沈思黙考するように促されます(2章51節)。
生まれた時からイエスはエルサレムで処刑されることが運命づけられていると、ルカは強調しています。飼い葉桶を透かせば十字架が見えます。地上に宿る場所が無かったイエス・キリストを通して、羊飼いのような貧しい人も含む全ての人が神の子であることが明らかにされます。このような形で、わたしたちがキリストの霊を宿すことに価値があることを、ルカ教会は共有していたのです。
ルカは元本のマルコ福音書の物語の筋を大きく変えることもします。イエスの活動の最初を故郷ナザレの会堂での安息日礼拝に設定し(4章16節以下。マルコ13章53-58節参照)、四人の漁師の召命記事をシモンのしゅうとめの癒しの後ろに移します(5章)。これによって、弟子を率いないイエスの単独活動期間が長くなります。ルカ福音書のイエスは独りで祈りたがります(5章16節、6章12節)。ルカの教会では独りで黙想して祈ることが奨励されていたのではないでしょうか。孤独に耐える者だけが、礼拝者仲間と共に生きることができるのでしょう。 JK