安保関連法制の参院審議がたけなわです。2014年7月1日に閣議決定した「集団的自衛権行使容認」を法律的に裏付けるための法改正です。この法整備の理由となるものは、詰まるところ「安全保障環境の変化」≒「中国および北朝鮮の軍事的脅威」にあります。多くの人々は政府の意向に沿ったことばかりを報じる大手報道によって、「万一のために備えて軍備増強することは必要」と思うように方向づけられています。日本に住む人々は、世界でも珍しいほどに、大手報道を鵜呑みにするのだそうです。
日本をとりまく安全保障環境は本当に変化しているのでしょうか。今までの憲法9条の解釈変更は常に安全保障環境の変化が理由だったのでしょうか。振り返って整理し、それを参考に今起こりつつあることを考えてみましょう。
1946年に平和憲法が、米軍による軍事占領下、個別的自衛権も否定という趣旨で制定されました。その後、中華人民共和国の成立と朝鮮戦争の勃発を理由に、個別的自衛権を認めるという解釈変更をし、警察予備隊(自衛隊の前身)を発足させました。米国は日本を「反共の防波堤」にしたかったのです。ここで変化したのは安全保障環境というよりも米国の都合です。冷戦の時代、自衛隊は米国軍需産業から武器を買い続け「米軍の補完部隊」として成長し続けました。
冷戦終結(1989年)・ソ連の崩壊(1991年)という安全保障環境の一大変化にも、米軍基地の撤退も、自衛隊の縮小/廃止/改組(たとえば「災害救援隊」に)もされませんでした。武器を売りつける米国の都合に合致しなかったからでしょう。
1992年PKO協力法の成立と共に、自衛隊は国連軍に参与することになります。「金だけではなく汗や血も流せ」という米国の要求に屈した結果です。その裏には日米財界の猛烈な圧力がありました。安全保障環境とは無関係に、自衛隊は個別的自衛権とも関係のないPKF(平和維持軍)に参与することになります。
最近、世界の警察として軍事費を賄う余裕が米国からなくなってきました。また米国内の厭戦気分も強くなっています。その米国の都合こそが、自衛隊を米軍と一体化させ、米軍の勝手な先制攻撃にも協力させようとしている(集団的自衛権の容認)目的です。自衛隊との一体化を見込んで、米国では軍事費減額の来年度予算が立てられています。報じられない事実に目を向けるべきです。 JK