8/19今週の一言

「人間社会も自然界にならって弱肉強食であるべき。だから生活保護など福祉予算を切り捨てるべき」という考えに対する反論を読みました。

そもそも、自然界は「弱肉強食」ではないのだそうです。仮に一頭のトラが生涯に多くのウサギを食い殺すことができたとしても、トラが絶滅危惧種になるほどに減りウサギの数が増えるのならば、種のレベルでは虎が弱く兎が強いと考えられるのだそうです。この考え方は、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という聖句に通じるものです。〔なお、女性の生む権利についての議論にはここでは深入りしません。〕

この意味での強い種というものは、自分たち同じ種の仲間を保護することに長けているのだそうです。そうでなくては、種の保存と拡大再生産(産めよ、増えよ、地に満ちよ)という本能的使命に背いてしまうからです。シマウマが縞模様を利用しながら風景に溶け込み群れるのも、外敵から仲間を守り、自分たちの種を保存するためです。

人間という種の場合、社会を形成して、同じ種の仲間を保護します。これによって最も弱い仲間さえも上手に保護できるようになりました。「福祉」という考えが発達したのは、本能的使命からの要請でもあります。つまり、「人間は動物とは違うから福祉がある」のではなく、「人間は動物だからこそ福祉を充実させようとする」という面があるということです。生命力に関して最も弱い仲間を保護できる種は、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」を最も効果的に実現できるでしょう。

自然界に倣う場合、同じ種の仲間に対して「弱肉強食」を当てはめるのは、何重もの間違えを犯してしまいます。仲間内で能力によって不当な差別をし、仲間を食物にしてはいけません。最低限の生活の保障は全ての人に、特に弱者にこそ割り当てられるべきです。

聖書は神の国のイメージを肉食動物と草食動物が穏やかに共存している姿として描いています(イザヤ書11章)。しばしば自然界の反転・超克として考えられがちなこの図、もしかしたら自然界のありのままの姿かもしれません。一匹ではなくて種のレベルで考えると、そうなりませんか。空の鳥・野の花を見習いたいと思います。 JK