9/16今週の一言

9月16日の「聖書のいづみ」では、マタイによる福音書7章13-14節を学びました。

ルカによる福音書13章24節に同じ趣旨の言葉があります。マタイとルカにだけ共通なイエスの語録です。おそらくは本来の文脈をルカが保存しています。ルカは13章24-27節をひとつながりにしており、マタイは「実によって木を知る」という別の説話を間にはさみます(マタイ7章15-20節)。ルカは世の終わりの出来事と「狭い戸口」を関係させ、マタイは地上での生活で「狭い門」から入る生き方を選ぶように勧めます。

「狭い門」「細い道」を選ぶように、それが命に通じるから、イエスの言葉はとかく安易な生き方に流されがちなわたしたちに対する警句です。「大多数の人が賛成するから何も考えずに賛成していく」という事態は、わたしたちにしばしばありえます。特に自分の意見を表明しにくい日本社会にあって、少数者の道を選ぶことは特別に勇気を必要とします。

マタイ福音書7章7節には、「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」という言葉があります。マタイ福音書の読者は、狭い門であっても必ず開かれるという約束を、すでに読んでいます。「狭い門を選べ」と命じる神は、必ず狭い門を開けて新しい世界へと導く神でもあります。そして狭い門が開かれると永遠の命を生きることができます。

水鉄砲は噴射口が狭いほど射程距離が長くなります。真理や正義というものは長持ちするものです。真理や正義を語る人は煙たがられます。イエス自身が権力をふるう広い門・広い道を選ぶ者たちに毛嫌いされました。その行き着く先に十字架での処刑があります。「差別は良くない」「軍事支配は良くない」「貧しい人を搾取するのは良くない」、そして「そのような方向で聖書を解釈するのは良くない」と、イエスは面と向かって権力者・法解釈の専門家を批判しました。その結果殺されました。

しかし義人は死んだままとはなりません。神はイエスをよみがえらせました。狭い門を選び続け、十字架の道を歩んだイエスに新しい未来を与えました。復活の永遠の命です。

個別的自衛権の否定を取り消し、沖縄を切り捨てて日米安保を結んだ1950年代に、わたしたちは広い道を選んでしまいました。丸腰の道義的大国になることは狭い門・細い道を選ぶことです。そこに永遠の命があります。 JK