9/21今週の一言

9月21日の聖書のいづみでは、出エジプト記30章1-16節を学びました。

「香をたく祭壇」(1―10節)と、犠牲獣を捧げるための「祭壇」(27章1-8節)には共通する部分が多くあります。その最大・最重要のものは「四隅に生えている角」(27章2節、30章2節)。天板を金属で作成する際に、四隅に角状の尖ったものを鍛造することが定められています。

四隅の角に大祭司アロンは、贖罪の儀式に用いた犠牲獣の血を塗ります(29章12節、30章10節)。この儀式によって祭壇も香をたく祭壇も神聖なものとなると考えられていました。このことは、祭壇の角を握っている人を、仮にその人が罪ありとされていても、処刑してはいけないという風習と関係しています(列王記上1章50節、同2章28節)。「贖う」(カファル)というヘブライ語は「覆う」という意味を含みます。人間の弱さや悪さを覆って隠すことが、贖うことの一側面です。

「推定無罪」という原則があります。疑わしきは罰せず罪無しとみなすのが、刑法の大原則です。いつでも冤罪の可能性があるからです。また、すべての被疑者に弁護士をつける権利が保障されています。信者にとっては、イエス・キリストが究極の弁護士です。キリストにすがる信仰は、祭壇の角を握る行為と似ています。

聖書においては、国家の行う「人口調査」は良くないこととして描かれます(12節)。人口調査の実施によって、天災が引き起こされると考えられていました(サムエル記下24章)。おそらく、人口調査が徴税や徴兵など王権の強化のために行われていたからでしょう(サムエル記上8章)。王はその存在そのものが誘惑です。王政は人々に王という神を提供しやすい政治制度です。王権を強化する政策は、王の神聖化を促すので避けるべきなのです。

聖書は「大国主義」を評価しません。「富国強兵」「殖産興業」による格差社会の現出や(アモス書3-5章)、列強との軍事同盟による安全保障政策にも批判的です(イザヤ書7章)。「武力によらず、権力によらす、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる」(ゼカリヤ書4章6節)。人口調査は不信仰の表われです。

ルカ版のクリスマス物語が、ローマ皇帝アウグストゥスによる人口調査を背景としていることは示唆に富みます(ルカ福音書2章1節)。ユダヤ人にとって忌避されるべき悪政です。また、ローマ帝国が皇帝を「神の子」と信奉し、軍事力による平和をしいていたことに対する批判が込められた記述です。

平和の主であるイエス・キリストは、武力によらず権力によらず、ただ聖霊によって平和を創り出す救い主です。JK