9/4「父母の会」礼拝説教

サムエル記上3章10節

サムエルは答えた。「どうぞお話しください。しもべは聞いております。」

今日の聖書は9月の暗唱聖句です。

子育て中に、子どもに夜起こされることは、親にとって辛いものです。眠りを邪魔されるからです。米国に留学中、下の息子を寝かしつけるのはわたしの仕事でした。二段ベッドの下の段に二人で一緒に寝て、寝付いた頃に自分だけ起きて、大学院の宿題をしていました。夜の3時ぐらいまで勉強して、妻と交代します。妻は朝の4時ぐらいから起きて同じ学校の宿題をするのです。

息子が起きるとわたしももう一度添い寝します。どうしても不機嫌になります。ある夜、息子がトイレのところに枕を持って寝込んでいることに気づきました。父親が不機嫌になるといけないから、気を使ってトイレに一人で寝ていたのでしょう。ちょっとかわいそうになりました。

夜起きる子どもに対して親が不機嫌であることはあまり健全ではないのでしょう。今日の箇所はお寺の和尚さんと小坊主のような物語。シロという町の神殿祭司エリと、住み込みの弟子サムエルのお話しです。少年サムエルが、夜「サムエルよ」と呼びかける声を聞いたというのです。そこで、師匠のエリが呼んだのかと思って、エリに尋ねると、「わたしは呼んでいない、戻っておやすみ」との答えです。そんなことが三度繰り返されました。

この時、エリという人はとても根気強く丁寧な態度でサムエルに接しています。いらいらして「もう自分を起こすな。お前の気のせいだ」と叱りつけないのです。そして、三度目にエリはサムエルに助言します。「もしかするとあなたは神の呼びかける声を聞いているのかもしれない。今度呼ばれたら、『どうぞお話しください。しもべは聞いております』と言ってみなさい。」

果たして四度目に「サムエルよ」という声がありました。サムエルはエリに習った通りに答え、神との対話がこの後に続いていくことになります。神と対話するという表現はきわめて神話的な言い方です。現代風に言えば、黙想をしている中で考えがまとまっていくことや、天啓閃くというような事態だと思ってください。

今日は師匠のエリの態度を参考にしてはどうでしょうかというお勧めです。子どもはわたしたちの生活に深く関わっています。そのために大人の生活習慣を崩すことがあります。わけのわからないことを言って真夜中にたたき起こされるということがありうるものです。「もう勘弁してくれ、さっさと眠れ」と、正直思うことしばしですし、親は不機嫌な雰囲気を発散させてしまうものです。その時にもなお自分の品位を保てるかどうか、その時にもなお相手(自分の子ども)を同じ人間として尊重できるかが問われています。

子どもを自分の所有物と考えたり、一心同体の集合体と考えたりすると、余計にいらいらするものです。自分の支配下にあるモノが言うことを聞かない状況に思えてしまうからです。親子は他人の始まりです。適切な距離を保って、別個の個人として尊重しなくてはいけません。日々の子育て、みなさまお疲れ様です。