近代の憲法には二つの意味があります。〔蛇足ですが「十七条憲法」は、近代の憲法の埒外なので、視野に入れません。〕 一つは「憲法という考え方」です。もう一つは具体的条文として存在する「憲法という法文」です。
前者は「およそ権力が分立していない国は憲法を持たない」と言われるような場合です。「立法・行政・司法などの国家権力を分散させた方が民主主義にとって良い」という考え方が「憲法を持つ」ということです。英国には条文としての憲法はありませんが、上述の意味では英国も「憲法を持っています」。
憲法が他の法律と異なるという考え方も重要です。「主権者は憲法という最高法規で国家権力を縛ることができる」と観念するのです。他の法律は多数の人が選んだ国会議員の多数決によって作られます。しかし多数がいつも正しいとは限りませんし、多数決になじまない事柄もありえます。たとえばたった一人でも人権侵害の被害者になってはいけないわけです。仮に政府や国会が憲法に反する行動に出ても、憲法によって歯止めをかけることができる仕組みの根拠となる考え方です。立憲主義と言います。
これらの「憲法という考え方」は欧米を中心にして発展してきました。人類が積み重ねた叡智であり、その核にはキリスト教の「隣人愛」「神の似姿」という教理があります。
この「憲法という考え方」という基礎の上に、「憲法という法文」が建て上がっています。具体的条文としての憲法は、すべての法律と同じように解釈の幅を当然持っています。ですから、「何が書いてあるのか」ということと同時に、「あなたはそれをどう読むのか」が常に問われています。しかし、「憲法という法文」の解釈の方向性は「憲法という考え方」に規定されています。個人の人権の尊重という方向性で解釈していくことが、近代の憲法の基本なのです。
日本国憲法は平和憲法と呼ばれます。とかく9条の解釈改憲・明文改憲が注目されています。ここに注意が必要です。護憲派/改憲派を問わず他の憲法条文の解釈や憲法改正について、考え方の基礎を持っていない場合がありうるからです。前文及び9条は人権尊重の延長・徹底としての平和主義規定と解釈することが素直です。こう考えれば他の条文についても応用が効きます。 JK