8月6日は広島住民への、また8月9日は長崎住民への米軍による原子力爆弾攻撃の日です。しばしば「日本は唯一の被爆国である」と喧伝されますが、事実とは異なります。例えば、南太平洋諸国住民は何千回という大気圏中(洋上)の核実験の被害により被爆しています。また米軍は劣化ウラン弾という核兵器をイラク戦争時に使用しており、イラクの住民も被爆しています。
唯一の被爆国ではないとしても、史上初の人間に向けた核兵器使用としてヒロシマ・ナガサキは記念されるべきであることには異論がありません。日本で原水爆禁止運動が盛り上がり、実効性はともかくとして「非核三原則」(核兵器を持たない・作らない・持ち込ませない)が存在する理由は、「史上初」という意義と関わることです。
とは言え、戦後以来日本の核政策は股裂き状態です。一方に「核兵器廃絶を目指して不拡散・漸次縮小」という政策があり、他方に「米国の核の傘に守られるべき」という政策があります。一方で「核nuclear兵器はだめ」と言いながら、他方で「原子力nuclear発電はOK」と言います。この狭間で、主に自由民主党国会議員から本音が時々もれます。「小型の核兵器の所持は憲法違反ではない」「潜在的な核兵器開発技術の維持のために原子力発電を継続すべき」などなど。
被爆にしろ被曝にしろ、すべてのいのちは放射性物質によって傷つけられることを望んでいません。原子力発電は、ウラン掘削から・核燃料棒の製造・輸送・稼働中・定期検査時の清掃・廃炉の全過程において、労働者の被曝を前提にしているので、仮に事故がなくても倫理的に問題です。ましてや、あの未曾有のトリプル・メルトダウン/メルトスルーの事故の後です。原発にミサイルが撃ち込まれた時の被害想定を政府はしていないことが今国会審議でも明らかになりました。
思い切って米国の核の傘から飛び出るという政策、また思い切って原発事業からの完全撤退という政策を採ってはいかがかと思います。冷静に考えても、核弾頭付ミサイルが不意に発射され運良く米軍が迎撃してくれても大気中に放射性物質は飛散してしまい被爆は避けられません。軍事同盟による抑止力(緊張)によって「撃たせない状況」を作るよりも、多国間の友好条約に基づく文化・経済交流(開放)によって「撃ちたくない状況」を創る方が倫理的・現実的です。JK