いづみ幼稚園も「聖書のいづみ」も同時に冬休みに入りましたので、今回はクリスマスについての文章を書きます。
クリスマスにはプレゼントを贈ります。サンタクロースからであれ、身近な人からであれ、わたしたちは贈り物を受け取るものです。また、ケーキを食べるものです。わたしの一番上の兄の誕生日は12月25日なので、いつも割を食っていました。自分の誕生日祝いと、クリスマスのお祝いがまとめられ、プレゼントとケーキにありつける機会が年間で一度減るからです。しかも、父親が牧師だったために家族中とても忙しい時期なので、彼の誕生日が相対的に軽んじられていました。
クリスマスに祝うことももちろんですが、誕生日を祝うことは、日本になかった風習でした。「一月一日に全員が一歳年をとる」という考えのほうが、むしろ伝統的だったわけです。
個人の誕生日軽視は聖書にもあてはまります。聖書の登場人物のうち一人として誕生日が記されている人はいません。その一方で、出エジプトの日付は明記されているのですから(出エジプト記12章参照)、日付全体に無頓着だとも言えません。西アジアでは、個人の誕生日はあまり祝われなかったのでしょう。ちなみに釈迦の誕生日は4月8日とされていますが、ムハンマドについてはイスラム教各教派間で誕生日の設定や祝うべきか否かで激しい論争があります。
西アジアとは対照的に古代ギリシャでは、月の神アルテミスの誕生日に丸型の焼き菓子を食べて祝う風習があったそうです。誕生日重視・ケーキでお祝いの原型は、地中海世界から来たのです。
キリスト教は西アジアで発祥しました。その後、地中海世界にも伝播していきました。ギリシャ・ローマの習慣に影響されたキリスト教会が、イエス・キリストの誕生日を12月25日に設定し(紀元後4世紀)、丸型焼き菓子を食べて祝うということを始めたのでしょう。やはりクリスマスケーキは丸型が王道です。
ケーキの上にロウソクを飾る習慣は、クリスマスが「光の祭典」と呼ばれるほどにロウソクを用いることに由来するのではないかと推測します。それが個人の誕生日祝いに影響を与えたのではないでしょうか。こうして、「クリスマスおよび個人の誕生日にケーキを食べて祝う」という風習ができあがります。
明治以降、脱亜入欧を掲げる薩長政権によって、この風習は日本社会にも積極的に採り入れられました。個人の生命の尊重ということが根っこにある限り、とても良い習慣であるように思えます。JK