9月28日の聖書のいづみでは、出エジプト記30章17-38節を学びました。祭司が儀式を行う前に両手両足を洗うこと、相応しい方法で任命の油を調合し全ての祭具に注ぐこと、相応しい方法で香を調合することが規定されている箇所です。相応しい方法で任命された人(祭司)による、相応しい方法で作成された祭具が、「正しい礼拝儀式」を保証するという考え方を前提にしています。神聖な神の前での儀式のためには、人も物も神聖となる必要があるからです。
類似の油や香を一般の人に用いることができないという規定は、「聖」が「区別すること」を含意することを示しています(33・38節)。そして、「聖性」は接触によって伝染します(29節)。聖性と同様に「汚れ性」も接触によって伝染すると考えられていました。ハンセン病患者への隔離の背後にある宗教思想です(レビ記14章)。こうして見ると、イエスがハンセン病患者に触れたことは、癒したこと以上の奇跡と言えます(マルコ1章41節)。
「貴族あれば賤族あり」と言われます。教会の教えは、神のみが神聖であり、それ以外のものは平等であるというものです。神に近い「聖なる人」はいません。特にバプテスト教会はその点を強調し、「聖人Saints」信仰を否定し、EucharistまたはCommunionの翻訳語としての「聖餐式」も採りません。むしろ、聖句そのものを訳し「主の晩餐Lord’s Supper」と呼び慣わします(Ⅰコリント11章20節)。「聖」という単語の使用に慎重かつ敏感だからです。世俗の人である教会員の中から牧師を任命し、「聖職者」ではなく「教役者」と呼ぶこととも関わります。聖書や聖歌隊などは大いなる例外です。
相応しい人と相応しい物が正統性を保証するという考え方は、キリスト教の中にも(あるいはすべての宗教団体において)存在します。例えばカトリック教会においては「叙階ordination(プロテスタントでは按手礼とも訳される)」された司祭による正しい所作によって、パンと葡萄酒という物質は「キリストの体」と「キリストの血」となると信じられています。維持可能な宗教活動のためには、「かたちを守ること」は長所となります。誰が祭司となろうとも能力や個性は問われないからです。バプテスト教会が牧師の個性に左右されやすい短所を持っていることと裏腹の関係にあります。なお、カトリックが叙階を含めて「七つの秘蹟Sacrament」を挙げているのに対して、バプテストは「二つの礼典Ordinance」に絞り、主の晩餐とバプテスマのみを最重要の儀式としています。これら二つの礼典によっても、聖なる物が人を清めるという概念が滑り込まない工夫が必要です。JK