2017年の干支は酉です。めでたく年男となりました。鶏にちなんでなるべく早起きを心がける一年にしたいものです。好都合なことに、最近は飼い犬が早朝に起こすので、朝飯前の仕事がはかどっています。
酉年の時に焦点を合わせつつ、反省を交えて半生を振り返ってみます。
12歳の時にわたしはバプテスマを受けました。バプテスマ準備の学びというのは一切なく、信仰告白もいい加減なもので(「使徒信条」を読んで、「これに同意します」というだけのもの)、ただ水の冷たさと怖さだけが印象に残っています。
全身浸礼にも、三つぐらいの方式があります。①受浸者が後ろに倒れる「背泳型」、②前に倒れる「洗面型」、③下にしゃがむ「底なし沼型」です。なおこれらの命名は便宜的なもので、わたしが勝手につけたものです。昭島めぐみ教会では、③の方式で行っていました。泉教会は①です。②は浸礼槽が浅い場合によく用いられます。①は勇気が要りますが一瞬で終わります。③は安心して沈めますが、上がるタイミング次第では怖い思いが続きます。父親である牧師の手が比較的長く頭を押さえつけていたので、水中で少々取り乱しました。
上の四人の兄と姉が皆12歳ぐらいでバプテスマを受けていたことに従ったという消極的な受浸理由でしたが、以来教会に繋がり続け、西南学院大学神学部に進学し、牧師にまでなったことは不思議な導きです。19歳で家を出てから、結局実家に戻ることはありませんでした。
次の酉年に西南を卒業し松本蟻ケ崎教会の牧師になり、妻と婚約し、年をまたいで(依然24歳ではありましたが)結婚をしました。妻は神学部専攻科の一年を残していたので、とりあえず最初は松本市と福岡市の別居生活でした。
福岡は色々な意味で熱い・暑い町でしたが、信州松本は逆に色々な意味で冷静で落ち着いた町でした。神学生時代に買いためた本を読み、勉強するのには適した土地柄でした。歴史に「もし」はありえませんが、もし最初の赴任地が信州でなければ、おそらく更なる学問習得のための留学という道を選ぶことはなかったことでしょう。これもお導きです。娘も息子も信州っ子、家族が増えた松本時代です。
次の酉年には米国留学を経て(1999年-2002年)志村バプテスト教会での奉職3年目でした。とにかく忙しい教会生活だったことを思い出します。自分がそうさせた面が多々ありますが、毎日何かの集会があり、毎週の日曜日にも何かの会議や研修がありました。バプテスト教会の自治について考えを深める志村時代でした。
こうして見ると、案外12年という周期には人生を区切る合理性があるかもしれません。とりとめのない話にお付き合いありがとうございました。JK